• 事例に学ぶ認知相違:DV被害の妻子に家を出て行かれた末に自死を選んだ夫

事例に学ぶ認知相違:DV被害の妻子に家を出て行かれた末に自死を選んだ夫

今回は少し趣向を変えて実際にあった事例を通して認知相違が生み出す悲劇を考えてみましょう。

 

この話のポイントはこうです。

 

・家庭内暴力をきっかけに息子と出ていった妻との極端で一方的なコミュニケーションカットによって追い詰められた夫が自死をしてしまう。

・しかし妻は未だ「自分は正しい、夫は加害者だ」と思い込んでいる。

 

こうした悲劇的な事例です。

 

一般には加害者である夫の自業自得として済まされます。でも現実このようなケースは禍根を残します。特に第三者的であり身内でもある家族です。当事者が原罪を背負って苦しむのはそれこそ自業自得です。

でもこの場合、かわいそうなのは息子さんです。死んだ夫も心理的バイアスが強く浅慮で短絡的ですが、被害者意識を訴える妻も心理的バイアスが強く、しかも両者ともに「自分は正しい」という生理的バイアスの亡者的です。

何故このような追い詰められる悲劇は起こったのでしょうか。皆さんもぜひ一緒に考えてみてください。

 

 

夫は自分が引き起こしたことの結果として妻が出ていったことによりはじめて起こしたことの深刻さを知り、内観することで「自分が正しいわけではなかった」と自分の心理的バイアスに気付きました。

にもかかわらず、今度は妻の方の心理的バイアスの炸裂によって関係回復の機会すら与えられず追い詰められることになったわけです。夫からするとむしろ自分の心理的バイアスに気が付かない方が楽だったという悲喜劇です。

 

夫の心理的バイアスによる家庭内暴力

きっかけは子供への暴力でした。当初の夫の弁によると、「仕事がうまくいかずイライラしていたのは確かです。でもまさかこんなことになるなんて夢にも思いませんでした」と懺悔の状態でした。

Aさんと妻との間には受験を控えた15歳の息子さんがいました。息子さんは大学への進学を望んでいましたが、思うように成績が上がりません。見るに見かねたAさんは、自ら息子さんに勉強を教えることにしたそうです。

妻や息子さんが頼んだわけではありませんが、Aさんは大学まで剣道部で活躍していた筋金入りの体育会系の人で人一倍自立心と責任感が強い人だったようです。近所では教育熱心で有名で、自分でも正義感が強いと自負しており、「このままじゃ、あいつの人生は真っ暗だ」と立ち上がったようなのです。

ある日のことAさんは息子さんの部屋に入り、背後で腕組みをして勉強を見ていました。息子さんは父親のプレッシャーで力が発揮できなかったようで、特に難しくもない問題すら解けずにいたようです。

しかも息子さんが塾から夜の10時に帰宅した後、夕飯抜きで問題を解くようにいわれた状態だったようです。息子さん的には頑張っているが無理だったのかもしれませんが、Aさんにはそう映らなかったようです。

 

「やる気があるのか! 良い大学、良い会社に入りたいんだろ。馬鹿なヤツらと一緒にされてもいいのか!パパに恥をかかせるな!」

 

と勉強を教えるはずが、途中から説教を始め、ひとりよがりな精神論が始まったようです。息子さんはあくびをするばかりで、頭にきたAさんは思わず息子さんの後ろ首を掴むと、息子さんの顔を学習机に叩きつけたのだそうです。

 

その段階ではAさんは「口で言っても分からないんだから当然です。悪いのは息子です。そんなに痛いんだったら、ちゃんと勉強をやれば良いだけだ」と思っていたそうです。典型的な心理的バイアスによるハラスメントです。昭和生まれならば誰もがやりそうな家父長的バイアスです。

そこで騒ぎを聞きつけて部屋に来た妻に泣きつくのですが、Aさんは間に入ろうとした妻に対しても「あいつの将来がかかっているんだ。俺も必死なんだ」と一蹴してしまったのだそうです。

 

怒った妻は逆上して右手を上げようとしたのですが、いかんせん鍛え上げられてきたAさんの腕力のほうが上で、そのまま妻の右手を掴むと下に振り下ろし、妻をフローリングに叩きつけてしまったのです。その後とっくみあいの結果、妻の右腕はミミズ腫れしてしまったようです。

これも子供じみた思考レベルでの行動を感じますが、どちらにも感情に対する生理的バイアスを感じます。

その間に息子さんは自分のスマホから110番をしており、到着した警察官はすぐにAさんの手を引き、警察署へ連行され、署内で事情を聞かれることになったのだそうです。

Aさんは続けます。「警察は何も信じてくれませんでした」。妻は夫が手を上げたのは今回が初めてではなく、過去に何度も繰り返してきたと証言したようなのです。

※ここには毎度の警察のバイアスによる見込み捜査の悪癖が多少垣間見られます。ある意味分からなくもないですが、喧嘩両成敗ですから多少なりとも妻の方にもアプローチしていれば、妻も内観する機会を持てたでしょう。

でもこの段階で妻は警察の態度などで「自分は何も悪くない」という心理的バイアスを作り上げています。自分も殴り掛かったなどは吹き飛んでいます。

 

Aさん的には「正当防衛ですよ。妻はちょっとしたことでも頭に血が上るので、僕が静止したという感じであくまで僕自身を守るためですよ」と声を大にします。残念ながらここにもAさんの男尊女卑的なバイアスがあります。

剣道で鍛えた大の男が妻に対して正当防衛など全く論理的ではありません。世の平気で女性暴力をふるう男性の心理はこういうレベルなのでしょうか。最近女性に簡単に手を挙げる人が増えているような感がありますが、どうもここにも現代的な心理的バイアスを強く感じます。

 

驚くは直近でも「大した仕事もしていないくせに」と妻が喧嘩を売ってきたといって、「誰のおかげでメシを食えているんだ」と妻の頬を叩いたのだそうです。これを普通に思っていること自体異常です。

夫婦どちらの言い分が正しいかはわかりませんが、Aさんは警察官に「あいつの言うことは殆ど嘘ですよ」と弁明しても聞いて貰えなかったようです。Aさん的には警察官の頭の中には「妻がDV被害者、夫が加害者」という構図ができ上がってしまっているようだという感想でしたが日常の話を聞く限り、あながちまるっきりの虚構ではないでしょう。

 

妻の心理的バイアスによる関係断絶、そして死別へ

ここまではほぼAさんの心理的バイアスが中心的な問題です。もうひとつの問題はここからです。その後Aさんが帰宅すると妻と息子さんの姿は最早そこにはなく、最低限の荷物を持って家を出て行ったようです。Aさんの動揺は激しく、現実を受け入れられないままに1週間が経過しました。

Aさんはようやく重い腰を上げ、息子さんが通っていた中学校へ電話をすると、すでに転校手続を済ませていました。転校先の学校名は教えてくれなかったようです。父親といってもです。これも社会的には致し方ないことでしょう。

辛抱し、割りきれなかったといえばそれまでですが、全てを断ち切って感情だけで極端に振る妻の心理的バイアスは恐ろしい限りです。第三者を通してまずは話し合いをしない態度は、全く自分の心理的バイアスに気が付いていません。誰も仲介や仲裁はしなかったのでしょうか。

ともあれその段階でのAさんはまだ「気持ちを伝えればわかってくれる」と信じて疑っていなかったそうです。きちんと謝り、心を入れ替え、「二度と同じことをしない」と誓えば、妻子は戻ってきてくれると思っていたそうです。

最終的に自殺するくらいですから、全くの悪人とは言い切れませんし、この点は長く一緒にいてAさんの人間性を妻は真摯に見ていたのかと疑問も浮かんできます。

とにかく「私は全て正しい、私は被害者。息子も私と一緒で被害者」という極端な感情だけが伝わってきます。そんなAさんは10日後に希望が打ち砕かれます。

自宅に弁護士から手紙が届いたのです。その内容は「今後、離婚手続の一切を代理しますので、何かあれば私に連絡してください。くれぐれも妻に連絡しないように」。そんな非情な一文が盛り込まれていたそうです。

担当する弁護士事務所はホームページに「女性の権利向上」を掲げているところみたいですが、一方的な通告を目の前にしてAさんは頭が真っ白になったそうです。

手は小刻みに震え、目頭が一気に熱くなり、そして足は宙に浮いているような感じで、何が何だかわからない状態になりました。

真実は分かりませんがAさんの話からはこの弁護士も、こういった組織の中立的立場を度外視した心理的バイアスを感じます。法曹界はもっと心理学を教えるべきと強く考えます。

Aさんには追い打ちをかけるかのように家庭裁判所から呼び出しの手紙が届いたそうです。例の件から20日後のことでした。それは妻が離婚調停を申し立てた何よりの証拠です。Aさんはそれでもあきらめきれず、弁護士を介さず、妻子に直接謝りたいと思っていました。

Aさんは市役所へ出向き、何とか居場所が分かりそうな書類を入手しようとしたのですが、窓口の担当者からは「発行できません。理由はお伝えできません」の一点張りで門前払いを食らい、市役所を後にするしかありませんでした。公共の支援措置としてDVの事実を証明することができれば、夫が窓口に来ても妻子の書類を発行しないよう頼むことができますが、妻がこの手続を行ったのは明らかでした。

 

それから1年後Aさんは亡くなりました。結局Aさんは裁判所からの呼び出しを無視し続け、離婚調停に一度も出席せず、何の進展もなかったようです。こうして離婚ではなく死別という形で幕は閉じられました。

遺書も残されておらず、Aさんが死を選んだ理由はわからないそうです。コロナになって家族への仕送りが出来なくなってきたことを儚んだのかもしれません。責任感は強い人でしたから憤ったのは確かでしょう。

 

認知相違が生み出す悲劇 ~その影響は当事者だけでは終わらない~

ここからが重要な部分です。その後妻はこの話を教えてくれた方にこのような話をされたようです。

「こんなことを言ってもしょうがないんですが、息子が産まれたとき、主人と二人で立派に育てていこうと誓いました。主人は私だけでなく、息子のことも裏切ったんです。こんなことをしたら必ず、息子が悲しむってわかっているはずなのに…私は夫が許せません」。

妻は涙声で、悲しみと憤りをどこにぶつけたらいいのかわからないという様子だったそうです。ただでさえ息子さんは思春期で難しい年ごろ、Aさんが亡くなってから半年、このことを息子さんにどう伝えていいかわからずに過ごしてきたのだそうです。

そう考えるならば、何故もっと自分を内観し、自分の心理的バイアスに注意して夫の心理的バイアスと同時に持っている責任感や息子の意志を考えて行動しなかったのでしょうか。「息子は自分が面倒見るからお互い忘れましょう。せいせいした」と云うのであればまだ理解できます。

 

離婚と死別は別ものです。離婚の場合、離れて暮らしているとはいえ父親は生きています。将来的に会いに行ったり、連絡先がわかれば電話やメール、LINEなどで連絡を取り合ったりする可能性が残されています。

死別は、すでに父親はこの世にいないわけですから、息子さんは二度と父親の声を聞いたり、返事が返ってきたりすることはありません。実際のところ、父親が不在の影響はあまりにも大きいと云えます。

聞くところでは、実際の問題として息子さんはかろうじて滑り止めの高校に合格し、入学したものの、第一志望ではなかったため、遅刻や欠席を繰り返していたそうです。妻は最近になり、意を決しAさんの死を伝えたのですが、息子さんはますます精神的に不安定になり、学校へ足を向けることができなくなり、自室にこもる日が増えているのが現状なのだそうです。

 

息子にとって最も父性が求められる時に自分の感情論に囚われ、心理的バイアスに気が付かず、妻自身が自分を息子に押し付けた結果です。息子がますます精神的に不安定になったというのが何よりの証拠です。

妻は主張するそうです。「息子に何の罪があるのでしょうか。主人は私だけでなく息子の人生も狂わせたんです」。妻は我慢できずに嗚咽をもらしていたそうです。

私的には息子は妻(母親)に相談が出来ずに、推論ですが「父がいっているようにすれば第一志望に入れたかもしれない」という父への憧憬を持って妻に憤りを持っていたかもしれません。

妻子が出て行き一人になったAさんの状況がどのようなものだったのかは推し量ることしかできませんが、Aさんは夫であり、同時に父親でした。妻がそうであるように夫も息子においては対等の立ち位置です。

息子さんが高校入学後におかしくなり始めた時、この妻は父親というものをどう考えていたのでしょうか。

確かにAさんは暴力的です。しかし妻もカッとなると自分の感情を制御できずに手を挙げる面が見られます。何よりも「こうだ」と決めつけると全く交流をカットして相手の心情に歩み寄ろうという姿勢が見えません。AさんもAさんですが、妻も妻だというような気がします。

間違いないのは、息子はそれも見ています。ですから父を奪った母に苦しんでいるかもしれません。そしてその母の終着によって父は死んでしまった。この息子がトラウマを持って母を恨まないことを祈るばかりです。

 

 

認知相違の調整は、双方が内観し歩み寄るところから

この母はAさんのような失敗の刻印がなく、いまだに自分は「正しい」で考え動いています。息子に対しても一方的です。本当に周りで誰もそれを指摘する人はいなかったのでしょうか。

最近の馬鹿親は子供を浅慮に育て、それが今度は母親になってというデススパイラル的な風潮が普通になっている昨今です。

また最近のマスコミも心理的バイアスに目もむけず、思い込みや古い慣習意識(それこそ歪んだフェミニズム)などで一方に異常な肩入れして、煽られなかったら収まるはずだったような当事者間の問題もこじらせるような精神的暴力を感じます。彼らにも最近幼児性的な浅慮や心理的バイアスを強く感じますことが多々あります。

 

ともあれ自分を内観せずに死んだ夫を理由も考えずに一方的に責める妻の態度や妻が持つ心理的バイアスを見ているとそれこそが息子がかわいそうなところで、この問題はかえって深く根を沈めていくようなうすら寒さを感じるところがあります。

この妻は自分の感情を最優先していますし全てにおいて被害者根性を感じます。だからこそ夫とかみ合わなかったのかもしれません。そして何よりも息子の気持ちを真摯に見ているのでしょうか。

 

これこそが認知相違が生み出す悲劇です。きっかけはAさんですが、問題解決に積極的に動かずにAさんだけを悪者にする流れやそれによってAさんを追い詰める自分がいるということが分からない妻のバイアス。どこかそれを後押しするような社会的勢力のバイアス。

 

コギャル、認知相違調整は、バイアスは片側だけにあるのではなく両者の間に存在するのだということを明白にして相違を明白に解明した上で両者にとって最善となる方向の糸口を創造するメソッドです。

 

皆さんに身近にもこのような心理的なバイアスが生み出すコンフリクトはいっぱいあると思います。重要なのは、心理的バイアスは一方だけの問題ではない、両方が歩み寄らなければ解決には至らないということです。

 

さて、皆さんは「ソモサン」?