• 浅慮(考えなし)をもたらすメタ意識を生み出すバイアスという要素について考える①〜コギャル法(2)~

浅慮(考えなし)をもたらすメタ意識を生み出すバイアスという要素について考える①〜コギャル法(2)~

今の日本は「浅慮(考えなし)」の量産工場

新年早々ですが、横浜市の公園で、中学3年生の男子生徒を暴行し大ケガをさせたとして、高校1年生の少年ら6人が県警に逮捕されたそうです。被害者の男子生徒は意識不明の重体となっているようです。

暴走族加入などをめぐりトラブルになって中学3年生の男子生徒の顔や体を殴る蹴るなどの暴行を加え、被害生徒は意識不明の重体ということです。

調べに対し、少年らは「約束をほごにされたからヤキを入れた」などと、全員が容疑を認めているということですが、県警は事件があった公園に他にも少なくとも10人以上いたとみて捜査を続ける方針とのこと。

この記事に元刑事部捜査第一課・警部補の佐々木氏が非常に示唆に富んだコメントをしていらっしゃいます。

 

「過去集団リンチ殺人事件の捜査に従事した経験があり、逮捕された少年の中には、先輩から頼まれ断れなかったなど、同調圧力によりリンチに加わり、殺人の罪で逮捕された少年らがいました。これまで見てきた非行少年にはたくさんの共通点があります。

それは想像力と共感性、理性の抑制力が著しく欠如していることです。さらに承認欲求の満たし方が大きく歪んでいることも大きな特徴で、それは少年の成長や生育の過程で、親を含んだ我々大人が子供たちに必要な教育をしてこなかったサインだと思っています。

今は、思考力0で答えを出せる時代。そのため多くの非行少年たちは、自分で考え行動し、問題を解決する経験や、失敗した経験、そして小さな成功体験の積み重ねが圧倒的に少ないと感じています。少年たちには、数多くの経験を積んで、小さな気づきを見つける習慣を身につける教育が必要だと強く感じています。」

 

 

ここには大きく二つの要点があります。その一つが、浅慮が生む歪んだ行為ということです。自分がやっていることがその後どういう結果を招くか、ということが深慮遠謀できないわけです。またこういう人たちは内観という思考もできませんから、やっていることへの罪意識も低く、しかも感情や欲求の抑止をすることも出来ません。当然他人の気持ちを慮るなどは彼方の話です。

悲しいことにこういった浅慮の人は、考えることへの努力も快楽的な感情に押し流されて行いませんから、浅慮の度合いは年を経る毎にますます脆弱化するという悪循環に陥ります。

 

ところが残念なことに知と意は別の存在ですから、知力は劣っていてもプライドとか自己尊厳感といった意識は人並みです。その自分に対する尊厳感が故に誰しも「自分は賢い」「そう人よりは劣ってはいない」と思いたいのが軸になります。

時には知力の劣位意識が劣等感として防衛機制を助長し、人一倍プライドとかメンツに拘るから始末に追えません。また深浅の尺度が明確ではないために浅慮な人ほど自分の立ち位置が分かりません。

更には学校教育の弊害で垂直思考と呼ばれる分析思考だけが思慮分別の尺度と思い込み、水平思考といわれる想像思考に何があってもそれに気がつかない人も一杯存在しているという実態もあります。

 

いずれにしても家庭環境に問題がないのであれば、子供にしっかりと幼少期において「考える」という訓練の機会を与えるのは親の責任であり、義務であると痛感するところです。

 

 

さて佐々木氏の2つ目の示唆ですが、これも家庭環境や親の責任が問われるところです。前述した人間としての尊厳についての倫理観や道徳心といった意に関する人間教育の脆弱化です。

欧米では未だに教会などにおいて宗教観のみならず人間観についての基礎教育を幼少期にしっかりと植え付けられますが、戦後の日本はそういった機会が本当になくなってきています。

今やお寺など子供の姿など見ることもなく、寺子屋といった言葉も完全に死語になってしまいました。家庭においても三世代ならばまだ少しは祖父母からの教育がありますが、核家族化によって家庭での教育も無くなる一方です。兄弟親子などといったおかしな関係の現象まで起きている状態です。学校などは受験予備校化や先生自体が無教養化する中で最早期待する意味自体が見出せません。

 

 

浅慮(考えなし)が助長されるメカニズム ~意識に影響しているバイアス~

このように日本ではどんどん浅慮人材が増産される有り様です。ところで認知相違を助長する浅慮ですが、普段は深慮な人でもいきなり浅慮になる時があります。その原動力となるのが感情の高まりによる思考力の低下、さらにいえばその背景にあるバイアス(生理的バイアスと心理的なバイアス)の働きです。

知性と情性はパワーバランスのような関係にあります。人間は感情が高まると余程思考力が強くないと感情のうねりに飲み込まれることになります。両者は元々情性の方が動物的に本能に近い関係上、力も上の関係にあります。

人はカッとなったり苦しくなると、あっさりと思考のコントロールが出来なくなる性を持っています。思考がいとも簡単に感情に凌駕されるのは皆さんも経験的に納得されるところだと思います。はてさて頭が良いとは一体何を指して表現しているのでしょうか。頭の良さとは何か、自分は頭が良いのかどうか、常に内観することが大切ですね。

 

ではバイアスの働きとは一体どういうことでしょうか。ここに知性と意性の違いが何たるか、が示されてきます。

普段は非常に深慮遠謀な人がある局面になるといきなり浅慮になったり、逆に非常に浅慮な人があるツボにはまるといきなり深慮に物事を進めるということがあります。

浅慮や深慮は思考の能力ですが、そういった能力を発動させるのはその人が持つ意志、そしてメタ意識に刻まれた想念の方向性です(専門的には自己スキーマといいます)。人はそのメタ意識の方向性に導かれて興味関心を持つことには近づき、反対に嫌がることは回避しようとするという反応をします。

そして興味関心がある(感情的にはポジティブ)ことには正の動機づけが働き、熟慮、深慮しようと反応します。反対に不快なことは動機が働かず、むしろ負の動機が働いて浅慮に思考を低減させたり停止させようとする反応をします。この意志の方向づけを決定づける起点になるのがバイアスになります。

 

こういった思考やメタ意識を操作するバイアスですが、その中の生理的バイアスの働きとは一体何でしょう。

人間の脳活動というのはその限界能力に従って時折複雑な思考活動を端折(はしょ)るという手抜きをしたり、途中の情報経路を省いて短絡に思考を繋ぐという活動を行います。その時一見合理のようでも最終的には不合理となる反応をすることがあります。

例えば錯覚によって引き起こされる思考のズレなどがそれに当たります。まさにメタ意識での生理行動です。こういった人間に共通的な生理的反応によって生じる認知のズレや歪みを生理的バイアスと称します。

これには受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする意識的な心理的メカニズムである防衛機制なども含まれてきます。防衛機制は不安や受け入れがたい衝動から自分の心理を守り、自分の固有的メタ意識を維持するためになされる無意識的な反応で、現実の否認または認知の歪みを生み出します。

 

※ちなみに人間がそれぞれの人生の歩みや体験の蓄積によって作り出した最初は意図的なものが経年の中で次第と身体的必然として観念的に認知されていく人間個々のメタ意識は心理的バイアスと称します。これは錯覚ではなく、例えば先入観による思い込みや決めつけのような思考の流れを生み出すバイアスです。

 

こういった生理的な認知バイアスには様々な種類があります。

例えば確証バイアスという反応があります。確証バイアスとは仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない反応を云います。

その結果として本来は滅多にない事象が起こる確率を過大評価しがちであることも知られています。こういった偏った情報処理は抑うつの要因ともなり得ます。 恐怖症と病気不安症も脅迫的な情報の確証バイアスを持つことからもたらされると云われています。

 

確証バイアスの有名なものとしては、コンコルド効果という現象があります。これはある対象への金銭的・精神的・時間的投資をしつづけることが損失につながるとわかっているにもかかわらず、それまでの投資を惜しみ、投資がやめられない状態を云います。英仏の超音速旅客機コンコルドの商業的失敗を由来として名付けられました。

 

また頻繁に出現する確証バイアスとして錯誤相関というのがあります。錯誤相関は、相関がないデータに相関があると思い込んでしまう現象です。錯誤相関は、2つの情報間の繋がりを過大評価する傾向があるときに発生するバイスです。ステレオタイプが典型例です。

「雨乞いをすれば雨は必ず降る」とか「雨男」といったように、実際の相関はほとんど存在しないのに、何らかの稀有な体験や集団的思考によってステレオタイプが起こり、次第にメタ意識として特定情報と特色が結びつくことを過度に期待するようになり、そのような相関が実際に起きる頻度を過大評価するようになる(ちょっとした偶然でも、やはりそうだったと理解する)といったバイアスをいいます。

 

こういった生理的バイアスには、自己奉仕バイアスとか自己投影バイアスとかアンカリングなど様々な種類があります。ここで全てを説明していると枚数が何枚かかるか分からないので、他の機会に譲りたいと考えます。今回のコギャルにおいては寧ろ心理的バイアスの方が重要な視点となるからです。

 

集団レベルのバイアスにも視野を広げる

ただ、こういったバイアスは集団的無意識(集団行動を希求する中で共通反応として所属する人全員に沸き起こるメタ意識)の中でも生じるということは少し付記しておきたいと思います。これは集団レベルでの開発、個人の力だけでは如何ともし難い集団意志へのアプローチには欠かせない側面があるからです。

 

集団的無意識の代表は外集団同質性バイアスです。外集団同質性バイアスとは、自分の所属する集団の多様性が他集団よりも高いとみなすバイアスをいいます。このバイアスは集団内外のメンバーをどれだけ知っているかとは無関係に発動します。

従ってこのバイアスは、自分の集団の事をよく知っているから多様性や違いを認識しているという心理ではなく集団の欲求に基づいて生理的に発せられます。

外集団同質性バイアスは、男性と女性など明らかによく触れ合っている集団間でも観察されますが、明らかにステレオタイプ化と何らかの関与性があり、さらに確証バイアスとも関係があると考えられています。こういった外集団同質性バイアスがいわゆる同調圧力のような歪んだ行動を生み出す契機となります。

 

他にも「偽の合意効果」などがあります。これは人は他の人々も自分と同じように考えていると見なしたがるというバイアスです。人は統計的確証がない相関でも、存在しない合意があるかのように感じることがあります。人々は自分の意見・信念・好みが実際よりも一般大衆と同じだと思い込む傾向があるからです。

このバイアスはグループで議論したときによく発生し、グループの総意はもっと大きな集団での一般的考え方と同じだと考えたがるという反応を示します。

特にグループのメンバーが外部の人間とそのことについて議論する機会がない場合、そのように信じ込む傾向が強くなります。さらにこの拡張として、そのような合意が存在しない証拠を突きつけられたときに、人は合意しない人の方が何か間違っている(勘違いしている、よく知らないで意見を言っている)と見なすことが多いという反応があることが知られています。

 

さてかなり紙面を割いてしまいました。今回はこれ位にしまして、次回はいよいよ核心の一つとなる心理的バイアスのご紹介に入っていきたいと思います。

こうご期待でお願い致します。

 

さて、皆さんは「ソモサン」?