気配り、気遣い、気働きとメンテナンスプロセスの関係を考える

経営管理の世界でよく耳にする「プロセス」。さてプロセスとは一体何なのでしょうか。

 

プロセスには大きく二つの領域が存在します。「タスクプロセス」と「メンテナンスプロセス」です。タスクプロセスとは生産性を上げるために求められるあらゆる「主に物理(知能)を中心とした論理的な要件とその繋がり、そしてその過程全て」を云います。

 

例えばPDCAとか、受注から生産を経て販売に至るまでのプロダクティブな流れ(カレント)が代表的です。一般に効率化と云われる活動の対象はコスト(時間もコストと換算する)を基軸としたタスクプロセスのあり方の見直しを指します。

コンピュータでいえばハードウェア、身体でいえば循環器や消化器のような役割です。

 

一方メンテナンスプロセスとはそのタスクプロセスを円滑に機能させるためのソフトウェアの役割を担っています。そこにはまず判断や思考に必要な情報のやり取りといった論理のネットワークがあります。身体でいえば神経系です。

 

しかしメンテナンスプロセスはそれだけではありません。経営活動を有機的で自発的に作動させるために必要な心理的な側面全てに関わっています。人の心には意欲や動機、覇気といったエネルギーのボルテージに繋がる情緒という存在があります。コンピュータのソフトウェアとの決定的な違いはそこです。

 

組織活動、ひいては社会活動は人に始まり最終的には人の満足と成長につながる道程ですから、人の持つ要素の全てが網羅されている必要があります。少なくとも有機や自発は情緒なしでは語れません。

 

そういった意欲や動機を生み出す情緒的な気のエネルギーのやりとりを司るのもメンテナンスプロセスの役割です。メンテナンスプロセスとは「主に情緒を中心とした心理的な要件とその繋がり、そしてその過程すべて」と云うことになります。

 

価値観の違いによる感情のすれ違い問題 メンテナンスプロセスへ無頓着な世代

今回はメンテナンスプロセスに焦点を当ててコメントを綴りたいと思います。

皆さんは「年代差」という社会的、特に組織行動的な問題をご存知でしょうか。

 

例えば、先だってこういう出来事がありました。「金曜の17時から19時位まで重要な会議を行う必要が出来ました。一人は遠隔地です。そこでリモート会議にすることにしました。主催者は終了後慰労を込めて軽い食事をしようと参加者の中のリーダーに打診をしました。その後一人から終了後予定があるということで中止になりました」。タスクプロセス的にはこれだけの出来事です。

 

ではこれをメンテナンスプロセス的に見ていきましょう。主催者は年長の経営者です。「金曜の17時から重要な会議を行う必要が出来ました。一人は遠隔地です」。ここまでは同様です。

「主催者たる経営者は一人が遠隔地なのでリモート会議を提案しました。その後リーダーから仕様が送られてきました。それを見た経営者は遠隔者以外は出社して対応するように察せられたので、リーダーに会議後に慰労を込めた軽い食事会を持ちかけました。

そして自身も出社することにしました。その後リーダーから『了解した』旨の返事を受け取りました。それからしばらく特に連絡がないので、経営者は『全員に意思は伝わって問題はないのだろう。せっかくの機会なので、情報収集も交えて交流会にしようか』と社外の人に連絡を入れました。

 

するとしばらくしてリーダーから『中心たるメンバーが事前に用事があるということなので欠席となります』という連絡が入りました。経営者はそれでは意味がないので結局は取りやめることにしました」という流れです。

 

主催者たる経営者の時代では、メンテナンスプロセス的に、まず「17時からの会議で19時に終わるのであればひょっとして食事会があるかもしれない」と気配りをするのが常套です。そしてそれに向けて気配りします。

 

ここで重要なのは「無理に予定を合わせるように他の都合を動かす」ということではありません。もしもそうなった場合に「相手に負担をかけないように事前に自分の予定をリーダーに伝える」ということが重要になります。大事なのは利他的に配慮するという姿勢です。

 

そうすれば声が掛かってもその場でリーダーも対処できるし、自分も安心です。そしてリーダーもすぐに(できれば折り返しに)メンバーの予定の確認をするという気配りをするのが常套です。そうすれば経営者も次の予定を立てられるでしょうし、判断を誤らずに済みます。経営者は無理強いをしようとしているわけではありません。自然に気配りをしているわけですから。

 

こういった相互の利他的な気遣いや気働きが噛み合った時にメンテナンスプロセスの流れはスムースになり、タスクプロセスも促進されるわけです。

 

しかし今の若い人はこういったメンテナンスプロセスには無頓着です。深読みは無論のこと、むしろ余計なお世話、負担にすら思う人が出てきています。無関心と無関心が噛み合うことで不可思議な一致が当たり前の様にもなっています。

 

ともあれ少なくとも経営者の気配りは水疱に帰したことだけは間違いありません。徒労だったわけです。この事例の場合、当事者もリーダーもメンテナンスプロセスに関心がないのは確かです。プロセスを知では理解しても情として感じていないのです。ここにメンテナンスプロセスの本質が潜んでいます。

 

若い世代に憂うこと

今の若い人は特にこういった気働きを嫌うというか気にしなくなってきています。個人主義のもとに契約的な論理だけでの関係を好みます。そうして感情的な繋がりを面倒臭がります。個人主義と利己主義を履き違えた無知な人が増えてきています。これも知能偏重教育の弊害かもしれません。

 

そして効率化の元にリモートワークが推奨され、それがストレス軽減にもなると若い人は喜ぶ風潮があります。そういった流れに乗って、忖度とか迎合といった行き過ぎた気の使い方と混同させて感情的な領域を軽視し、むしろ現場的にはマイナス状態を引き起こしている現状を多々目にします。

忖度とか迎合はむしろ利己的な欲求に端を発する動きです。利他的な気配りとは本質が違います。いつの間にか若手にこそ迎合して、組織もそういった面の教育を忌諱する中で、感情に端を発する心の病が頻出したり、組織のコミュニケーションの停滞が生産性の低下を生み出したりしているのが現実です。

 

組織内では感情的な交流がどんどん減少し、若手になるに従って感情の処理の仕方や感情の持つエネルギーを統制することの重要性を失念し始めてきています。そうして閉塞感の中ストレスに巻き込まれてネガティブ感情への対処ができずに苦慮する人も増えてきていますし、SNS禍のようにネット上で平気で人を傷つけても意に介さない感情面での不完全人材が増えてきています。

いわゆる利己主義人材がどんどん増殖して社会を崩壊させてきています。

 

気配りや気働きは一見面倒な様でも、メンテナンスプロセスという社会や組織運営の円滑な進め方という視点から見ると、中核たるコミュニケーション上とても大きな影響力を持つ領域であると私は考えます。

 

少なくとも経営者や力ある人は気配りが前提の社会で生き抜いてきた人たちです。身をもってその重要性を認識しています。経験不足で頭でっかちな若者の空論よりも体感的成功を軸に物事を見て判断しています。

 

若者が何かを達成したいならばその年長者を動かせなくてはなりません。彼らは理屈もさることながら気持ちを大事にします。気持ちに無頓着な人材は外されるだけです。

 

まあ、それにつっぱって金銭に拘泥する若手経営者もいますし、それを信奉する群衆がいるのも確かです、しかし彼らもいずれ年長になります。その時が見ものです。

 

少なくとも私の場合、「暖簾に腕押し」くらい虚しいことはない。エネルギーを抜かれる寂しさはないと考えます。であれば無駄なことは避けたい。こちらからリーチアウト(気働きや気遣い)をするのはやめにしようと思うだけです。ただそれが得か損かは、人によっての受け取り方次第です。

私は損だと思う方の価値観なのですが。

 

さて、皆さんは「ソモサン」?