• 意思とは何か、そのからくりを通して意識改革へのアプローチを合理しましょう

意思とは何か、そのからくりを通して意識改革へのアプローチを合理しましょう

~あらためて、意思とは何か~

前回のソモサンで私は意識には「触れることが出来ない生理的な意味での意識(メンタル)」と、「自分の認知を持って自覚する意思としての意識(インテンション)」に大別されると述べました。日本人は何でも二極化して物事を捉えるのが大好きですが、この意識という概念は大別とは云っても二極化するような存在ではありません。生理的ではあっても認知的に触れることが出来る領域もあります。

例えば性向です。性向には男女という世界がありますが、もう一つ父母という世界もあります。日本人はこの二つの世界を混同して捉え、自分の性向が分からなくなって混乱している人を多く目にしますが、例えば必ずしも男性だから父性が高くなければならないとか、女性だから母性が高くなければならないといったことはありません。

特にLGBTQが俎上に上がるとこの混同が大きな弊害を醸し出します。男性質でも母性質が高い人はいますし、女性質でも父性質が高い人も多くいます。男女の質を語るときに父母の質を混ぜ込むと論理が混乱します。集団主義の日本人は個性を軽視するアンコンシャス・バイアスが強く働きますから、マジョリティとして求める女性は母性が強いのが当たり前という価値観が大義と勝手に捉え、それを正義の様に考える歪んだ思想があります。それが多くの人間関係を不幸にしているのが実際のところといえます。

 

何れにせよ、性向は持って生まれた生理的な意識に近い概念ですが、意思として気づきを持ち、認知を調整することで一定のウェルビーイングを心にもたらすことが出来る領域といえます。これは真面目と称される性向にも云えることです。ここで一つ押さえておきたいのは、性向は意思ではないということです。性向を意思によって調整してウェルビーイングになるように方向付けることは可能ですが、性向だけではウェルビーイングは得られないということです。ウェルビーイングを得るには自分認知、自己概念という意思が必要不可欠であるということです。

意思は人の考えや気持ちにダイレクトに影響する心の概念です。意思とはインテンション(心を方向付けるもの)です。大きくはイデオロギー(世界観、日常生活を規定する哲学的な観念)とアイデンティティー(自分の存在意義、社会における位置づけ、人生の目的定義)といった知的で認知的に発露する意志(ウィル)と、ビリーフ(信念)やバリュー(価値観)のような情的で非認知的に発露する気持ち(マインド)があります。何れも生後の生育環境的によって後発的に開発された世界です。

ウィルとマインドは相互干渉して存在しています。前者が後者を意識的に統制し、後者が前者を無意識的に形成するという関係です。またマインドは生理的なメンタルと相互干渉しています。やはり前者が後者を明示的に統制し、後者が前者を暗黙的に形成するという関係にあります。メンタルシックとは置かれている状況がウェルビーイングでなくなり、メンタル面に歪みやストレスが掛かることから、生体反応が正常に機能しなくなることです。この現象は連鎖するマインドのバランス形成にも影響し、思考や感情が同様に正常に機能しなくなります。そうしてバッドビーイングの悪循環が始まり、体調障害を起こしたり精神崩壊を招いたりし始めます。

 

更にマインドの歪みはウィルにも影響して、ウェルビーイングに繋がらないイデオロギーやアイデンティティーを想起したり構築させていったりします。またウェルビーイング自体が分からなくなります。 そうしてこうして歪んだウィルは思想や言動、行動に発露するだけでなく、マインドの統制やメンタルの統制に悪影響を及ぼし、人の心に大きな負の悪循環を生み出していきます。こういった人が権力を手中にすると大きな悲劇が始まります。ドイツのヒトラーや日本の戦争犯罪者など上げだしたら枚挙に暇がありません。何れにせよ意思の調整は非常に重要なアプローチなのです。

 

私が40代の頃、1年間に250日を越える仕事をしていたときがあります。しかもその間に北海道から鹿児島まで2日に1回は移動という日々です。仕事を終え、夜に移動して翌日は別の町で朝から違った仕事をするといった塩梅でした。ある日のことです。仕事が定時に終わらず、移動の飛行機に間に合わない事態になりました。仕方なく電車を乗り継いで別の町まで移動となりました。着いたのは翌日の2時近くです。食事どころではありません。バタンキューです。

そして翌朝6時半に迎えがきました。そのまま先方に行って8時半にスタートです。私的には何の問題もなく午前は進行しました。受講生も真面目に聞いています。ただ後ろの役員がいつもと違った顔をしています。そして休憩時間。おもむろに後ろにいた役員が近寄ってきて一言「何かありましたか?」。私「えっ、何も。おかしいですか?」。「いや、今日は出だしから、このままでは会社はだめになるとか、あなた達はやる気あるかとか、凄くネガティブな感じですね。皆が少し後ろ向きに引いていますよ」。「えっ」。

「いやあいつもの感じと違いますね。ご存じの様に我が社は今非常に好調で、会社がだめになるような状態ではないですよ」「いつもの貴方を知っているので訝しいと感じたのですが、もしこれが初めてならばクレームものですよ」。私は血の気が失せました。

 

実は前日の仕事が倒産寸前の会社の更生の手伝いだったのです。ところが社員にやる気が無く、当事者意識も責任感もない。誰のためにやっているのか。こう云った憤りをもってやっていたわけです。云われたこともやっておらず、そのために時間になっても終わらなかったのが深夜移動の原因でもありました。「しまった、リセットできていなかった」。常日頃は夜ホテルに入って、夕食をしながらその日を振り返り、次の日へ向けてリセットを行います。ところがこの日はバタンキューで翌朝も早く、疲れもあって心の切り替えが出来ていなかったのです。

ネガティブ基調のままで状況の違う会社に対応してしまったのです。まさに心の整理が付いていなかったわけです。私は役員に理由を述べて謝罪しました。そして受講生にも謝罪しました。皆さん良い人たちで快く許してくれましたが、本当に冷や汗ものでした。そう心と知は違う存在なのです。理屈で感情をコントロールは出来ません。感情をコントロールするのは意思です。常に意思の調整をしてないと大変なことになると云う一例です。メンタルヘルスと呼ばれる意思のトリートメントの面目躍如たる由縁はここにあります。

~意思の世界の取り扱い方~

さてこういった意思の世界ですが、これを扱うときに絶対に見逃してはならない不文律があります。それは生理的な意識から認知的な意識に向けての影響の流れは暗黙的、無意識的に為されるのに対して、認知的な意識の方からの流れは明示的、意識的に為されるということです。このことは実践として意思の調整に取り組むときに、最も意図的にアプローチ出来るのがウィルによる認知領域であるということを意味しています。

しかも心の構造として最も中核的で持続的に他の意識領域に影響を及ぼす存在であるのがウィルの領域でもあるという真理です。つまり意思の調整を行うに際して、ウィル領域の調整を外してのアプローチは論外であるということを自明しておかなければならないということです。

 

先にも述べたメンタルヘルスですが、メンタルヘルスが効果を示すには二つの条件が要ります。一つは調整するレベルがウィルレベルで済む場合です。そしてもう一つがその人の心にウィルやマインドが存在しているということです。自分と向き合うというアプローチがあります。先述した私の失敗のように、意思の調整が出来ていなかった時の悲劇は甚大になる時もあります。

しかし自分に向き合うことで全てが調整できるわけではないということを知らないと、却って悲劇が拡大するときがあるということも知って置かなくてはなりません。こういった無知が意思の歪みを広げたり、却って心を疲弊させたり瓦解させてしまうこともあるのです。向き合ったが故におかしくなったでは目も当てられません。事実、下手に内観したが故にウツが酷くなったというケースや頭が混乱してしまったというケースもあります。

例え症状がメンタルに出ていたとしても、その真因がマインドに近いメンタルであったり、マインドの歪みであったりした場合は自力では解決できない問題です。生理的に根ざす性向や原体験によって刻み込まれたマインドは対話や他力的な誘導が必須になります。自分で意識的にしかも冷静に内観できるのはウィルレベルです。ウィルに近いマインドであれば内観技能によっては調整が可能です。

でも、より無意識化に刻み込まれた領域は余程の修行を積んだ人でない限り内観で調整できるようなものではありません。そして内観しようにも自分がない人はどうしたらよいのでしょう。幼少期から受験的な教育での知的技能は磨かれていても、自分の意志や意見を持っていない人が多数輩出されてきています。他者からの問題は解けても、自ら問題を案出できない。答えのない状態になると身動きできない。自分で判断できない。間違った意志に流されたりして逆らえない。こう云った人は振り返りや内観自体が出来ません。

内観と云うことすら頭に浮かばないことでしょう。高学歴でも親の言いなりにしか動けない。意思決定が出来ない。自分の殻に閉じこもる。人の気持ちが分からない。感情の抑止が効かない。こういったウィルが持てていない人はメンタルヘルスのようなアプローチでは手に負えません。そして実は今こういう人の問題の方が社会や会社に大きな負担を与え始めているのです。

現代のメンタルヘルスは心疲れではなく、心の基礎力(リテラシー)が欠落しているところに起因しているのです。まさにレジリエンスが非常に脆弱な人ばかりになってきているのです。そうしてエゴサーチで傷ついたり、防衛規制として誹謗中傷といった他者攻撃に明け暮れたり、正義の何かも分からず○○警察を気取って集団リンチをやったりといったことがネットでも学校でも、そして社内でも闇の如く蔓延し始めているのです。表向きはダイバシティと言ってみても、理屈に面従腹背の輩が至るところでウェルビーイングを破壊しているわけです。

 

それにしてもここまで社会的・組織的な疲弊状態に追い込まれながら、考える技術には関心強く、会社も個人も磨きをかける努力を惜しまないにも関わらず、中身たる意思そのものを確固たるものにしようと真摯に取り組まないのは何故なのでしょうか。それでいてやれ会社へのロイヤリティーが無くなったとか、皆の考えがバラバラで力が結集しないとか、面従腹背で動かないとか、挑戦心がないとかをぼやく経営者や人事担当者を至る所で目にするのはまことに不可思議な思いがします。

また芯のない人たち、思いのない人たちに知識や思考能力ばかりを充填強化して、結局は暖簾に腕押しとなり、当然行動は喚起されない状態が続く中で、苦慮しながら迷走する経営者や人事担当者の姿も同様に「全く何をやっているのだか」と呆然とするところです。本当に本末転倒も甚だしく思います。とにもかくにもこの意思の調整問題は、社会的に看過できないレベルになってきていることは確かなようですが、多くの組織では上っ面で「やっている振り」の状態です。

 

21世紀は心の時代になると云われて早20年。事態は本当にそうなってきました。人の心は荒む一方でウェルビーイングの世界からは離れて行くばかりです。人の存在の機軸たるエンゲージメントの世界も求心どころか遠心が働くばかりです。本当に真摯に取り組まなければ人の存在は大変な状態に陥ってしまうことは必定です。にもかかわらず動きは殆ど起きません。

果たして本来は重要に思っているが解決の糸口の道筋が長く見え、日頃の慌ただしさによって取り組みに萎えてしまうことによることが理由なのか、はたまたより真相的にそれを考えるべき人たちの意思自体が開発されていないレベルにまで問題が深刻化しているのか、それとももっと安直に意思や意識ということがきちんと整理された形で理解されていない為にまやかし的に捉えられていることに端を発しているのか、皆さんはどれが原因だと思われますか。

 

さて、皆さんは「ソモサン」