• ストレスマネジメントやレジリエンスの本質と効果的な開発を考える

ストレスマネジメントやレジリエンスの本質と効果的な開発を考える

~目次~

1.自粛疲れ

●外出は軽薄か楽観か

●日本人は日々の生活の工夫が苦手

2.レジリエンス再考

●レジリエンスとは何か

●幸せホルモン=セロトニンが楽観を生み出す

3.レジリエンスを高める理入と行入技法

●知情意という心の三要素

●認知や思考の在り方を見つめ直す‟知”へのアプローチ=理入

●セロトニン分泌による‟情”へのアプローチ=行入

●レジリエンス強化には理入・行入どちらも必須

 

~自粛疲れ~

 

東京や関西といった指定8都市も首都圏を除いて全国的に緊急事態宣言が外されました。それに呼応するように多くの人たちが一斉に街に繰り出し始めました。残念ながらそれにつられて指定8都市の人たちもそこら中にあふれかえり始めました。これでまた汚染が復活するか否かは神のみぞ知るといったところですが、「自粛疲れ」といった言葉も軽視し難いところです。

フランスなどでもセーヌ川の河畔はマスクもせずに、しかも抱き合っている人がいる状況ですから、この動きは万国共通と云えます。韓国はこの緩みというか、奢りと云うか一部の浅慮者によってまたまた感染拡大が起きていますから、各国的にも、もちろん日本的にも「本当に大丈夫かいな」と危惧する所です。

しかし人間の一見能天気ともいえるこういったやや軽薄に映る動きも、視点を変えますと人間が生き残るために遺伝子的に組み込まれたストレスに対してのレジリエンス力が発露している証とも云えますから、一概にネガティブばかりに表することも出来ません。まあ何とかなるだろうとか自分は大丈夫だろうといった意識は、浅慮と云うよりも楽観という心理的姿勢が作用している面があります。そういった本能的な面から見ると致し方ないところでもあるわけです。

 

でも、世の中の人が意外なくらいに日々の生活に工夫を凝らすのが下手であるということも間違いのないところです。一日家に居続ける生活は、やることにかなりの制限があるのは確かですが、ほぼ一か月程度で我慢の上限を超えるというのは辛抱の問題ということに加えて、創意工夫力の弱さも感じるところです。

特に日本人の場合、考えるという力においてまじめの真骨頂である直線的思考に関しては切れ味が豊かですが、遊びのような創意に関わる浮遊(さ迷い歩く)的思考はかなり苦手と云えます。皆さん総じて横並び的にテレビやネットの受動的な鑑賞とか、ゲーム三昧、後はせいぜい酒飲み位しか浮かんで来ないようです。固有の趣味もなく、またこの際趣味を始めようとする革新思考もなかなか浮かんで来ないのが大勢のようです。

まあ身体を動かさないので、血の巡りとしてそれがその分思考の方にも影響して創意が為されない面も多々ありますので、そうネガティブに捉えているわけではありませんが、やはり人間はどのような環境でも進取の精神を持つリーダー的な人とそのリーダーに導かれて生きる想像性に乏しいフォロアー的な人間に大別され、世の中の大勢はフォロアー的に右に倣えで目先や単視眼に動き、多くの場合リーダー資質を求めても叶わないのが現実なんだなあ、と改めて厭世的に再認識させられるのが本音と云ったところです。

~レジリエンス再考

ところでこのリーダー資質の一つにレジリエンスという力があります。レジリエンスとは物理用語でプレッシャーという圧力が掛かった時、それを元の状態に復元しようとする力で、よく似た力としてプレッシャーに対抗するレジスタンスがあります。このレジリエンスを心理学としてストレスマネジメントに応用した考え方が最近脚光を浴び始めました。

その際、この力を打たれ強さのように理解して論を展開する人が出て来始めて、多少レジリエンスに混乱をもたらしましたが、レジリエンスは打たれ強さと云ったレジスタンスの様な「逆境に堪えるといったような受け身的な力」とは異なった「逆境によって凹んだ心を元に戻そうとするような積極的な力」であるというポイントを活用して、様々なストレスに対する処方箋として医学などの実践の場で応用されるようになってきました。

 

ではこのレジリエンス、具体的にはどのようなものなのでしょうか。心理学的に或いは精神医学的にそして脳科学的に様々な研究が為されて来ましたが、最も実践的な研究は米国ペンシルバニア大学による心理学的研究と英国オックスフォード大学による脳科学的研究と云えます。そして両校はいずれもそれぞれの領域を軸に、ポジティブ心理とかサニーブレインという表現で、その根っこに「楽観」という認知観念と「目的志向」という意志観念の2つを軸足と考えて、その強化と開発を提唱しています。

元々レジリエンスは第二次世界大戦中のドイツ軍の捕虜収容所における悲劇に端を発して、そこで生き延びた人に共通する心理状態の研究から始まりました。最初は地味な研究でしたが、やがて米国でベトナム戦争における兵士のPTSD(心的外傷後ストレス障害)改善のための処方として脚光を浴び始め、湾岸戦争での治療において非常に重要視されるようになりました。

その際前面に立ってアプローチをしたのがペンシルバニア大の海兵隊向けのプログラムでした。一方英国ではより精神病質的な領域での治癒に向けたアプローチでしたが、どちらも実践的な研究に変わりはありませんでした。こういった研究の中から、レジリエンスの構成要素は遺伝的な側面と、経験学習的な側面と、現在環境的な側面といった3つの側面が複雑に絡み合って成り立っているということが分かってきています。

 

また3つの側面の考え方に従って、レジリエンスは元々生来で強い人がいるのは確かですが、全ての人が遺伝的なわけではなく、後天的な学習で強化したり、開発したりすることが可能であるということが脳科学における脳内物質の分泌研究などから分かってきました。この仕組みを発見したのが英国オックスフォード大のE.フォックス教授です。

彼女は幸せホルモンなどとして、最近では非常に有名になったセロトニンの作用が楽観を生み出す要因であることを突き止めました。セロトニンの分泌は人間の個体的な生理作用ですから、人によって先天的に異なりますし、同時に一定の訓練で分泌率の上昇も期待出来るものです。このことは同時にストレス耐性力も作り上げれることを意味しますし、ストレスによる障害の治癒活動にも適応できるということにも繋がります。では具体的にどうすればレジリエンスは高められるのでしょうか。要はセロトニンの分泌は高められるのでしょうか。

~レジリエンスを高める理入と行入技法

知情意という心の三要素は相互関連しています。ストレスと云うのはその人の心に支配する負の心構え、心の姿勢ですから、三要素で云えば意、つまり意思の部分が司っています。意思は知による認知や思考と相互関係をしています。意思が思考の在り方や考え方といった方向性を生み出しますし、逆に知が持つ情報の質や量が意思の在り方に影響します。楽観も認知や思考の在り方による意思の一つです。

ですから楽観を作り出したり高めたりするには、認知の在り方や考え方と云った方向を前向きに軌道修正するという切り口が有効になります。それには思考の材料である知的情報に対して前向きで楽観に繋がる充填や軌道修正をする必要があります。その時ポイントとなるのが、後ろ向き、否定的に凝り固まった認知のパターンを解きほぐすための刺激です。

これがないと酷い場合、それが癖と化してしまっている固定観念に縛られた中で前向きで楽観に繋がる情報に気が付きませんし、そういった情報までも拒否してしまったりして、せっかくの情報をも思考の段階で後ろ向きの情報に転換させてしまいかねません。

それを打開するにはナビゲーターやパイロットの存在、つまりサポーターの存在が重要になります。状態が病的にまで深化している場合は心理療法士のような専門家のサポートを要しますが、こういった技法を認知行動療法と云います。健常者のストレスの場合、そこまでの専門家は不要ですが、やはりアプローチ的には同様の有効さがあります。

一定の訓練を受けたコーチやトレーナーによる介助や仲間という他者の介助によるアプローチがかなり有効となります。他者の場合はやはり素人なので相手側にもバイアスという歪みや主観が混じりますから、この場合は複数による主観の客観化が効果的になります。このアプローチを集団技法と云い、専門的には「ラボラトリー方式」と称します。集団で相互に治験者、被験者を担って相乗効果、シナジーを生み出していくアプローチ方法です。何れにしても知的な側面から楽観を組み立てて行くアプローチで、禅の世界ではこれを「理入」と称しています。

 

さてここまでは知と意の関係で話を進めましたが、知はもう一つ情と繋がっています。情とは情緒という感情を生み出すエネルギー体のようなものです。そして身体的な動きはこのエネルギーから起こされます。この情は知覚や感覚と云った感知作用によって知に影響します。体感はその人に内在する知的情報によって知覚され、その保有する情報で反応行動が起きます。知と情が直接的に関係するのは無意識に発動される先天的な潜在情報で条件反射などがそれに当たります。

一方、意識的な情の活動は知と情を意が介在して関係させます。例えば喜怒哀楽と云った感情や気分は後天的に得た知的な情報によって意思が弁別します。また意の在り方や考え方は知的な理の領域よりも快不快や好き嫌いと云った情による気持ちの領域の方に強く影響されます。つまり人は知の力よりも情の力の方により直接的に影響を受けるということです。

これは認知に関しても同様で、知においては理解できる前向き情報を意思として受け入れるか否かは気持ち次第で決まるということになります。ストレスは認知がもたらす心身へのマイナス作用ですから、幾ら知を管理して、知からアプローチをしても、最終的に情の管理が出来なければ意味を持たないということになります。ここに認知行動療法の限界があります。

 

では情を管理するにはどうすれば良いのでしょうか。認知行動アプローチで情の領域まで書き換えられれば良いのですが、それには相当の時間を要するのみならず、かなりの困難さを伴います。最も直接で効果的なのは、情が直接身体と繋がっていることを利用して身体から情を管理しようとするアプローチです。ここで重要な存在になるのがセロトニンです。

セロトニン分泌は脳内における物理的な活動ですから、幸せホルモンたるセロトニンの分泌活動を管理できれば、快や楽といった情が管理しやすくなり、それを梃にすれば認知行動アプローチの効果も増大します。またセロトニンは太陽を浴びると増加するので、1日1回は日を浴びながら散歩すると良いでしょう。好きな音楽を聴くのも良い。癒やしはクラシック、奮起はリズムが良い音楽。また触覚はモフモフ系が良く、嗅覚はフィトンチッド(樹木などが発散する殺菌作用がある化学物質)のアロマ、つまり森林浴が良いと言われます。

 

医学ではその考えの元に薬物療法を多用します。しかし果たしてこの方法は良いのでしょうか。

西欧の心身分離思想は医学世界でも顕著で、西欧風の医学はすぐに外的処置を取りたがります。先般のブログの如く、日本は西欧の洗脳が行き届いていますから、医学も外的アプローチ信奉です。薬に麻薬も良薬も基本的違いはありません。外的アプローチとしては同じです。強制的に身体にストレスを掛けるやり方である薬物は必ず心身のバランスを崩し、別なところに歪みを生じさせます。その歪みを矯正するために別の薬物投与と云うのは可笑しな話です。

心の問題に肉体的なアプローチは必ず深い歪みを生み出します。単なる対処療法はかなりの問題を含んでいることは間違いのないところです。このような中で東西を問わず医学界においても注目されてきたのが東洋で生み出された体感療法です。心身の調律によってセロトニン分泌を高めようとするアプローチです。

これが恒常的に出来れば、レジリエンス強化にも繋がります。そうしてハーバード大で開発されたのが禅に由来するマインドフルネス理論です。これは呼吸集中と瞑想、そして身体調律による心身の前向き化(東洋的には中立化)の技法です。内面からの発動なので薬物のような副作用はありません。

 

禅は本来ヨーガの一部から生み出された静態的な技法です。従って禅には鼓舞したり奮起したりするような技法は含まれていません。禅由来のマインドフルネスは、基本は癒しであり、ストレス解消には繋がっても、レジリエンス強化には力不足となります。しかし、ヨーガ本来の技法には、より力を増進させる技法が含まれています。レジリエンス強化にはヨーガ由来の技法を加味させると万全となります。

こういった身体からのアプローチを禅では「行入」と称しています。ともあれストレス解消やレジリエンス強化には、理入だけでも行入だけでも効果は得られません。心身両面からのアプローチが必須になります。皆さんも目先のストレスマネジメントや一面的なレジリエンス強化だけでなく、良きリーダー人材になるために、知以上に情や意を鍛え、三位がバランスの取れた心の状態を作り上げてください。

 

さて、皆さんは「ソモサン」