• アンコンシャスバイアスを日常の中で真摯に捉えることの重さを考える

アンコンシャスバイアスを日常の中で真摯に捉えることの重さを考える

先週は弊社主催で「アンコンシャスバイアス」に関するセミナーを実施させて頂きましたが、参加者の評を聞く限り、意外なくらいに企業において人の情的側面がもたらす影響とか経験学習に対する知識不足が与えている弊害が大きいなあ、ということでした。

~アンコンシャスバイアスの本質を理解する

この何年か「アンコンシャスバイアス」を始めとする人の「意識」について研究を重ねてきた中で感じることは、企業は「意識改革」と声高に謳いますが、本気で「意識」とは何かを解釈して着実な手を打っているところは非常に少ないという実感です。例えば、意識とはコンシャスの方なのかバイアスの方なのかすらも認識していない中で「アンコンシャスバイアス」を扱っている状態の人が至る所におられます。

一見「言葉の綾」のようですが、これはとても重要な視点です。アンコンシャスバイアスの改善といったときに、アンコンシャス(無意識)をコンシャス(気づき)の状態にすべくアプローチするのと、バイアス(偏った見方)をバランス(調和)すべくアプローチするのかでは全く意味も次元も異なるからです。

世に広く紹介されるアンコンシャスバイアスの考え方の多くは、本質が後者であるにも関わらず、前者へのアプローチ策でお茶を濁すパターンが殆どで、これでは社会が望む解決とは程遠いと憂いるところです。バイアスそのものを調整改善しない限り、この問題の本質解決はあり得ません。

気付けないから困ることを「気付く努力をしなさい」とか、瞬間的に発露することを「常に意識しなさい」といったところで詮無いことです。まあ、社会的な体裁で「うちも取り組んでいます」程度の企業ならばいざ知らず、本当に困っている会社ならば、ここは本質に立ち向かわなければなりません。まさにアンコンシャスバイアスの本質に座する「バイアス」の改善こそが、「意識改革」へのアプローチに他ならないからです。

 

今回弊社のセミナーでバイアスをもたらす構造として「バイアス・ピラミッド」という考え方を紹介させて頂きました。アメリカの著名な組織心理学者であるゴードン・リピッド博士は、人の変化の困難度として、知識レベル、思考(技能)レベル、態度(機制)レベル、価値観(信念)レベル、そして生理(認知)レベルと段階付けし、系列に従って困難度が増し、生理レベルになるとDNA的な領域として調整は出来ても変化はほぼ無理であると論じました。

この概念はアンコンシャスバイアスにも当て嵌まり、バイアスが系列に従ってアンコンシャス化していきます。つまり生理レベルになると自覚的には気付きにくい領域になります。バイアスではこういった領域を「認知バイアス」と称して「錯覚」を引き起こす習性的な癖の様な存在として定義しています。癖ですから他者からの指摘でもない限りそうそう気が付く存在ではありません。

にもかかわらず、処世ではこの認知バイアスをアンコンシャスバイアスの全てであるように論じ、しかも自覚的に変えるように喧伝するような書籍などが横行していたりします。少し熟考すれば気が付く話ですが、権威主義というバイアスに篭絡されている日本人は書籍となるとすぐに盲信し、それを社内的に流布しようとします。当然結果は火を見るより明らかです。無駄金を使わないように用心しなければなりません。

弊社がアンコンシャスバイアスを研究するにあたって、バイアス的に最も頻繁かつ大きな領域を持っていると認識するのは、「思考レベル」です。その次が「知識レベル」です。狭い社会生活や不勉強な中で「無知蒙昧」がもたらすバイアスはかなりのものです。日本人などは村社会の影響かコミュニケーションが閉鎖的なのでこの領域でのバイアスが至る所に横行しています。

先だってある調査データがネットで紹介されました。それは「40代以上の男性の25%、女性の30%がゴシップ記事を信じる」ということです。これは言い換えるとそれだけの人がバイアスによって判断を行っているとも云えるということです。今のマスコミの不勉強さと正義に対する凋落は恐ろしいものがありますが、それを日本人の主勢力である三分の一が盲信するというデータはうすら寒い気がします。

専門馬鹿とは云いますが、今の日本の学歴は受験という知識においてはすごい力を持っていても、それ以外の社会的な情報に関してはお寒い人ばかりです。高学歴ほどその傾向が強いようにも思われます。ともあれ、無知ほど怖いものはありません。

~本当の頭の良さとは何か

さて受験と言いましたが、受験とは本来思考力の高さを試す場だと私は認識しています。つまり高学歴者は「頭が良い」、要は「深謀遠慮」であるということのはずです。しかし現実ではどうもそこに疑問を持ってしまうことが多く起こります。そうバイアスの王様が「浅慮」であり、「軽薄さ」です。

このようなことは高学歴者が参集する大手企業にも多く、しかもそれがいじめやハラスメントを頻出させているという実態です。本当に「それ位少し考えれば分かるだろう」という思考停滞、思考停止レベルで起きていることが非常に多いのです。

 

一体「頭の良さ」とは何でしょう。これを書いている前日にある経営者と夕食をしていましたが、その際に彼が面白い話を紹介してくれました。

「時々ゴルフのプロとご一緒して自分のプレーの点検をしています。その際にプロから聞いた話ですが、彼は今注目を集めている若手プロに対して今後も活躍できるかどうかリストアップしてチェックをしているそうです。そんな中で短く潰れていくプロには共通点があるのだそうです。それは通信高校卒が多いということです。

何故そうなのかを尋ねると、今ゴルフがブームとなってお子さんをプロにしたがる親が増えてきている。そういった親の中には、子供に対してプレーに専念させるため学校に行かせず通信教育をさせる人がいる。そういう子は総じて自分で考える力が育っていない。そしてそういった子が一旦スランプになると立ち直れない。なぜ自分が今の状態に陥っているのかが分析できず、解決の糸口も見いだせない。

ほぼ2年で消えていく、ということだそうです。野球選手などでも一旦スランプに陥った時に薬物に走る人は、やはり自分で考える力が欠けているからなのでしょうね」。

 

なるほど「頭の良さ」の本質がここに隠れているように思えました。本当の頭の良さは「自分を深く分析し探求できる論理力の高さ」にある。そうやって考えると高学歴云々を問わず、本当に頭の良い人はどれくらいいるのでしょうか。

「自分を真摯に振り返って軌道修正できない」「人の話を聞けずに防衛抵抗に終始する」「学習できず同じ過ちを繰り返す」これらは防衛心の前に浅はかさ、楽を求めてきた中での単なるズボラさが問題のように思えます。自分が正しいと固執するのは楽なことです。しかしそれは同時に自分を陳腐化させていくことにもつながります。

その単純な道理すら分からない人を「頭が良い」とはやはり言えないように思えます。面白いのはそういう人ほど「頭が良い」に拘るということです。

 

私の師匠格の方が昔「使えない集団は2つに分類できる。それは頭の良い奴がいがみ合っている集団と頭の悪い奴が仲良くしている集団だ」と云っていました。私は現実論として日本では後者の集団が8割くらいとみています。これは現場観察からの意見です。ところが日本の多くの学者は机上論で、集団開発をすべからく前者を想定して論じるばかりです。だから現実として開発が起動しないのです。

一体こういう人たちは頭が良いのでしょうか。これこそバイアスの本質なわけです。更に日本では集団主義による「集団浅慮」というバイアス問題もあります。今、関西にある元財閥系の大手電機メーカーが社員のハラスメントによる自殺問題で揺れています。東京の大手広告会社も同様です。問題が解決しないのです。何故ならばここに集団浅慮というバイアス問題が深く関わっているからです。

私は直接電機メーカーに関わったわけではありませんが、かつてそこに在籍していて鍛えられたという中小のメーカーの役員とご一緒したことがあります。彼はそのメーカーにいたことが自慢であり、そのやり方が絶対であるという信念を持っています。そしてそのやり方がまさに自殺事件の状況と一緒なわけです。つまり誤ったマネジメントによって悲劇に陥っている会社を盲信しそれを範としているわけです。悲しいのはその周りも範となっているメーカーの威光に抗せず、その役員の暴挙に屈していることです。

かわいそうなのは社員です。私は役員に人の気持ちを投げかけてみたことがありますが、言われるまで気にもしていなかったようですし、またその後もそのことは視野からなくなっているようでした。そう彼にとっては元居たメーカー威信こそが絶対で、それ自体に歪みがあっても最早想起自体が出来ないのです。彼は自分のやり方こそがその電気メーカーに近づく道とばかりに自己高揚しているわけです。これは決して自己防衛ではありません。彼にとっては正義心なわけです。ここに集団浅慮からくる集団バイアスの難しさがあります。

こういったバイアスの改善は個々人の内観や学習レベルでは改善されません。個々の持つ信念体系は論理よりも感情の影響の方を強く受けます。

「嫌なものは嫌」「受け付けないものは受け付けない」「手放せないものは手放せない」。

こういったレベルのバイアスは感情へのアプローチが必須になってきます。まずは思考が作動するレベルに持ち上げる必要が出てきます。それには他者や集団の力を使う必要が出てきます。集団レベルでバイアスの改善に取り組まない限り問題解決は程遠い話となります。これを成功させたのが、稲盛さんが率いた日本航空です。やはり組織的にそこまで落ちぶれたという危機意識が集団浅慮の払拭の原動力となったのでしょう。集団レベルの問題解決はリーダーシップと切り離せないという実例としても大事な事例です。

 

社会、特に企業が本当に必要にしているバイアス改善は、今幾つかの出版物の様な個人レベルの内観やスキルへのアプローチではその場凌ぎにしかなりません。中でもアンコンシャスバイアスはその名が示すように無意識に発動するくらいに日常的な思考言動行動です。だからこそ加害者は「非常に軽く、安易」に考えています。単に「人の気持ちを考えよう」では推し量れない深いテーマであり、取り組みであるという認識がまず求められます。

 

さて、皆さんは「ソモサン」