組織を論理として科学的にハンドリングできるのが経営者である

唐突ですが、JoyBizは組織の活性化、組織開発を生業とする為に創業した会社です。

「知っているよ」という声が聞こえてきそうですが、実際組織開発が何なのか、それ以上に組織というものが何なのかをきちんと理解して「知っているよ」と仰る方は非常に少ないのが現実です。酷い話、社内的にもそういう人間がいる始末です。更に口では云えてもそれを率先垂範できる有言実行の度合いとなると誠にお粗末な実態といえます。

ともあれ日本の経営者の多くは圧倒的に中小企業であるためか、日常の実務に追われて経営の専門家としての学習を怠っており、科学的に経営実態を分析して合理に物事を考えたり、人の話を聞けたりできないことが、様々な施策失敗の原因になっている様に思います。

 

~論理に欠ける分析と施策

実際海外の多くの方が日本人の特徴として指摘するのは、「徹底した要因分析の欠如」です。日本人は何故表面的な議論しか行わないのか。何故直観的で場当たり的な解決策しか出して来ないのか。日本では経営の責任者としてその道のプロを名乗る人たちでさえ、起きている現象についての知識はすごいものの、その原因を徹底的に追求することは殆どしていない。原因の説明は表面的な事実をなぞるだけで、「何となくこういう結論になるだろう」と直感的な分析で済まし、しかも本当にそれに基づいて施策の手を打つのが理解できないと驚いているのです。ここで、ネットで紹介されていた一つの声を紹介してみましょう。

 

「現在日本では労働生産性の向上に向けて有給休暇が取り上げられているが、その問題解決への道程は呆れるほどお粗末である。生産性が高い国では有給休暇取得率が高い傾向にある。そして日本は有給休暇取得率が低いということで、これを高めていけば生産性も上がっていくだろうというわけである、ここまでは分かる。

しかし、もしもこれを本気で進めるのならば、そもそも何故日本の有給休暇取得率が低いのかを徹底的に要因分析をしなくてはならない。これに対して日本では識者ですらが、日本人の真面目な国民性が関係しているとか、日本は集団主義で職場に休みにくい雰囲気があると直感的な理由を口にする。

しかし海外では「有給取得率は企業規模と関係する」という要因分析がなされている。大企業になればなるほど有給取得率が上がり、小さな会社になればなるほど下がることがわかっているのである。この傾向は万国共通で、日本も例外なく当てはまる。つまり、例えばアメリカの有給取得率が高いのはアメリカ人の国民性ではなく、単にアメリカの労働者の約50%が大企業で働いているからである。

日本の有給取得率が低いのも日本人の国民性ではなく、単に日本の労働者の中で大企業に勤めている人が約13%しかいないからなのである。きちんと分析をかければ、国民性うんぬんとか労働文化うんぬんというのは、科学的な分析から目を背け自分たちの都合のいい結論へと誘導していく卑劣な論法だと言わざるをえない」。

 

皆さんは如何思われますか。この様な知的怠慢によって組織を致命的な状況に導いてしまう経営者の何と多いことか。そしてそれをこれまた直感的な日々による思考停止状態に陥った幹部や社員が、指摘も論議も出来ずに責任回避的に沈黙する現場の見苦しい姿。本当に嫌になってきます。

凡そ日本人の多くは集団主義の悪い側面として対面する関係性さえ問題にならないようにすれば、本質な問題を解決しなくても粛々と日々を楽に過ごせるという狭量的で安易な思想が蔓延っているのが主因のように思われます。これはグローバリゼーションやダイバシティへの対応という観点では最もあだなす行為であることは間違いありません。

~組織活動を科学する必要性

さてこの経営の論理の中に「組織」という存在があります。今回はそれを少し科学してみましょう。組織とは「3人以上の人が機能として集合し、活動の相乗性を醸し出す体制」をいいますが、機能という観点から原則として存在する3つの論理を理解すると同時に、それをハンドリングしていかなくてはなりません。それは以下の3つです。

①投入産出量の合理的機能

②感情的葛藤の関係的機能

③権力的均衡の政治的機能

 

組織とは、どのような形態であれ常にこの3つの論理的な機能の作用によって営まれています。そしてこの3つの機能は相互に関係し合いながら、組織の日常活動に大きな影響を及ぼします。JoyBizが生業とする組織開発とはこの3つの機能が最も組織に効果的に作用するようにエンジニアリングすることですが、この中で最も難儀な思いをするのが③の権力的均衡に関わるエンジニアリングです。

権力とは「ある者が他者をその意に反してでも行動させうる特別な力」です。例えば権力の代表としてよく取り上げられるのが政治ですが、「政治権力」といえば「一定の範囲の住民すべてに及ぶ強制力を有しそれを服従させるようにまで至った権力」のことを云います。これは被対象者にとって感情的には不愉快なものです。

その為に政治そのものを毛嫌いする人がいますが、政治とは本来「人間集団における秩序を形成し、問題解決に対して実行を促していく上で必要不可欠な機能」です。何故ならば問題解決には「正解がない中で意思決定をしなければならないこと」や「その解決に対しては全体幸福とはならず、最大幸福のためには一部に不利益を強いなければならないこと」も多いからです。そういった中には、合理形成が不可能であったり、要素が多過ぎたりお互いの絡みが複雑すぎて期限内に答えが導ききれないこともあります。

そういった場合の問題解決を行うには合理的な解決とは異なった手立ても必要になってくるわけです。このような問題解決には当然反対派の猛然とした反発も予想されます。後で考えれば反対派の方が良かったことになるかもしれません。しかし直面する段階ではどちらが成否か分かりませんし、ともかく実行しない限りには問題解決は得られないわけです。

こういった場合、その結果責任の所在について非常に高い心理的ストレスが掛かります。集団社会に生きる人にとって孤立することは死を意味し、そのため集団社会から疎外されることはもっとも忌み嫌うこととなります。その為、人は対人や集団に対する影響上の失敗を非常に恐れます。それが心理的ストレスの原因です。

 

一方そういった忌み嫌うことが出来る人に対しては一定の尊敬の念が生まれます。また現実的な責任回避に向けてその人への依存も生まれます。当然同時に➁の感情的葛藤の関係的機能のマイナス面として、羨望や嫉妬も担うことになります。人は生理学的に利己的で身勝手な存在です。

組織とはそのような中での様々な思惑が①の投入産出量の合理的機能を最大値にするために働く魑魅魍魎的なところです。このような存在をハンドリングするのは余程の天才か、①の機能に集中できる余程の人間音痴でないと心を病み、身体を壊すことは必定です。

科学的論理はこういった組織を統制すべく、出来る限り人に責任が圧し掛からないように事前の協約として機構や制度を構築します。いわゆる組織図や人事制度といった上下左右の指揮系統や責任範囲の明確化です。しかしこれはあくまでも決めごとを維持継続するための基準書なので、この通りに遂行するだけでは組織は変化に対応できないことになり、やがて硬直的に機能不全に陥っていきます。変化とは朝令暮改で臨機応変な外圧です。こちらの都合通りに反応してはくれません。それに対応するにはやはり運用面での柔軟性やハンドリングの技術が求められることになります。

ところが安定基調を常態として技術を磨いていない組織はそれに対応できません。それ以上に組織の機構や制度自体を固定的なものと誤認識している人も多くいます。いわゆる経営のド素人です。私がお伺いする協同組合などにはこういった役員がゴロゴロいます。こういった人はお上が提供してくれたマニュアルや仕組みを丸呑みし、それを金科玉条に遵守することが経営だと勘違いしています。

当たり前の話ですが「組織は環境に従います」から①の投入産出量の合理的機能を整備改変すれば、③の権力的均衡の政治的機能の在り方をそれに合わせて調整しなければ、合理的機能と政治的機能が乖離するのみならず、却って妨害することになります。

ところが経営の素人や中小企業などの経営者、最近では大企業でも経営組織論を不勉強な人はこれが目に入ってきません。私的にはMBAの講座の中に組織論が殆ど組み込まれていない大学というところの組織態勢にも問題があると思いますが、多くの学者先生は正解がありそうなすっきりとした論理を好まれるようで、マーケティングの様な①の投入産出量の合理的機能を研究する方ばかりなので致し方がないかもしれません。特に日本ではこの傾向が強いようです。集団主義の性向として政治や権力を好まれない人が多いのが日本人の特性と云えます。

ともかく上記の様な組織関係者は、経営の主機能である①の投入産出量の合理的機能が息詰まると、そこにばかり目を向け、きちんと論理的に②や③の機能を精査して問題の焦点を包括的に見ようとはせず、①を何度も作り直したり、偏った部分での視点の切り替えに没頭し、結局論点が異なる問題が致命傷となって失敗を繰り返したり傷を大きくしています。

 

私は実践家として何度もこういった局面に立ち会っていますが、責任者もさることながら周辺の助言者も不勉強で適切な助言が出来ずに総崩れ的に泥沼に陥っているのが現状です。まさにこういった状態こそが③の権力的均衡の政治的機能の轍に嵌って、関係維持に執心し責任回避をする人々が参集している構造に他なりません。

こうなると外部としての我々の専門性にも彼らのアンコンシャス・バイアスによって耳も傾けない状態になります。これが外部の限界と嘆息するところです。

経営の論理、組織の論理では、②の感情的葛藤の関係的機能も③の権力的均衡の政治的機能も、①の投入産出量の合理的機能と等しく経営の中の主要論理です。これらは全て科学なのです。

皆さんはバランスよく勉強し、きちんとハンドリングの術を身に着けていますか。どんなに良い計画を立てても動かなければ無意味です。経営をハンドリングするときには、計画の悪さや投入産出活動の合理性といった上辺の技術のみならず、組織活動の科学にもちゃんと目を向けてください。

 

さて、皆さんは「ソモサン?」

 

恩田勲