• 日本企業が切望する意識改革とはアンコンシャス・バイアスを修正することである

日本企業が切望する意識改革とはアンコンシャス・バイアスを修正することである

新年あけましておめでとうございます。今年もJoyBizコンサルティングをよろしくお願い申し上げます。

今年は「知能・技能よりも意識」をモットーにJoyBizは「意識改革」のプログラムによって企業や社会の快適性向上に貢献していく所存です。

意識改革の意識と

もう30年以上になりますが、プラザ合意の頃から日本の経済界では「意識改革」という言葉が経営者層を中心に口に昇るようになりました。これまでのような高度成長を基調とした経営環境は望めなくなるので、これまでの延長ではなく、「考え方」を変えて欲しいというのが経営者の期待でした。

しかし「意識」という言葉の抽象度が高かったためか、今一つ具体的な動きは起きず、結局、経営活動は従来の流れを早める一方でバブルのような虚構の世界を生み出す結果となり、日本経済は一挙に失われた10年に突入することになりました。

日本人は誰かが生み出したものへの改善のような技能は得意ですが、新しいものを創造したり概念を編み出したりすることは苦手で、改革のような新規なものへの具体的な取り組みに対しては欧米依存の姿勢になってしまっています。

酷い時には欧米信仰の如く盲信して内容の精査もせず、欧米の方法を直入して失敗を繰り返す事例が後を立ちません。その為か、反対に欧米にない定義に対しては尻込みして動こうとしません。意識改革への取り組みもその悪しき一面が窺えます。

実際現在日本が欲する「意識改革」という言葉の意味に明確に応じた欧米の言葉や定義はありませんし、そのため具体的な技法も曖昧でした。

 

さて意識改革でいうところの「意識」とは何でしょうか。非常に抽象的で曖昧な言葉です。日本語において意識という言語自体が2つの意味を含んでいることからもそれが分かります。

一つの意味は「気づき」としての意識です。英語で云えばコンシャスです。しかしこれは意識改革で欲する意味の意識ではありません。意識が持つもう一つの意味は「モノの見方・考え方」ですが、欧米においてこれにピタリと来る言語はありません。「コンセプト」でもないし、「アイデア」でもありません。

強いていえば「マインド」になりますが、「意識改革」を「マインドチェンジ」とするとあまりに意図が強く受け止められかねません。メンタルやソウル、スピリットとも違います。こういった欧米に見合った言葉がないような、つまり具体的な施策が想起できないような日本の抽象的な表現が、具体的な動きを導かなかった原因の一つだったように思えます。

JoyBizでは長年「意識改革」を的確に巷間に理解してもらおうと、その具体策の開発とともに探究し続けた中で、最近になって欧米における「バイアス」なる表現こそがこれまで日本で求めていた「意識」という言葉に同義する表現であることに辿り着きました。

「バイアス」は直訳すると「歪み」とか「偏見」になりますが、心理学的に「バイアス」を定義する際、これは「ものの見方・考え方」に他ならないということにそれこそコンシャス(気付き)したわけです。

意識改革の改革と

では「改革」とは何なのか。改革は欧米ではリフォーメーションとかイノベーションになりますが、これもニュアンスとしてはかなり大仰な表現です。人の心は刷新するような世界ではありません。チェンジも心変わりのようなハードな意味となり、いささか大きな抵抗が予想されます。やはり意味合い的にはシフトかトリートメントが程度としてはちょうどよい頃合いに思われます。

 

JoyBizではこういった推敲を経て、「意識改革」とは「バイアス・トリートメント」であると解釈するに至りました。そう「アンコンシャス・バイアス・トリートメント」という言葉は耳慣れませんが、その実体はよくある目新しいプログラムでは決してなく、日本の企業や社会が長年求めていた「意識改革」に対するドンピシャリな具体的な手立てということなのです。

皆さんは如何思われますでしょうか。かように言葉というものは、そのニュアンスがイメージを喚起させ、感情を揺さぶることで行動に影響するものです。

日本の企業が求め意味する「意識」とは「モノの見方・考え方」です。それを改革しろというのは、「切り替えろ、偏移しろ」ということです。つまり「これまでの見方は時代に合わない。今の時代の趨勢からすると偏りや歪みになるから是正、調整しなさい」ということに他ならないわけです。

バイアスとは言葉通りに訳せば「歪み、偏見」ですが、人の持つものの見方は人それぞれでありそれが個性ですから、バイアスは人相互の関係の中ではバイアスと呼ぶよりもアイデンティティと呼んだ方が的確といえます。相手から見ればバイアスだが、自分的にはアイデンティティというのがバイアスの本質です。

バイアスがバイアスと呼ばれる由縁は、それが社会的道義性や集団的なマジョリティーにとって阻害要因になるからです。しかし論理的に探究すると、マジョリティーの方がバイアスであったり、社会的道義の方が時代の変遷の中でバイアスに転じてしまっていたりする場合も多々あります。バイアスとはそういった存在なわけです。バイアスを呼称だけで判断しては危険です。それこそバイアスの罠に嵌まってしまうことになります。

しかしながらバイアスはやはり文字通りバイアスです。バイアスたるバイアスは是正していかなければなりません。それは恒久的な社会的道義に反するものであったり、時代の要求に反するものであったりと、その存在や考え方から発せられる行動が人間関係や社会的な生産性を阻害したり、自分自身を壊してしまうようなものです。そういった意識です。

中でも自分のバイアスをバイアスと自己認知できないようなものは、無意識的に発動される傾向が大です。こういったバイアスをアンコンシャス・バイアスと称して、特に注視する必要が出てきます。「悪気がなかったという悪意ほど罪なことはない」。これはいじめやハラスメントで良く起きる事実です。

ただでさえ悪意を是正するのにもエネルギーが掛かるのに、それがアンコンシャスな場合は是正に掛ける労力は桁違いに大変です。酷い場合、本人はそれを正しいと信じているわけです。そこへの介入は相当の抵抗を覚悟する必要が求められます。

組織内の非生産性や不活性、相互の疑心暗鬼や牽制といったマイナス行動、ネガティブ空気の根本は、十中八九が人間相互や集団規範としてのアンコンシャス・バイアスが為せる所業です。そう、組織開発とは組織内に蔓延るアンコンシャス・バイアスの打破にあるのです。

JoyBizが何故アンコンシャス・バイアスに注力するのか皆さんご理解いただけたでしょうか。

では皆さん、改めまして本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

では常套句です。さて、皆さんは「ソモサン」?

 

恩田勲