• 薬物問題におけるバイアスの存在とそこからくる社会的な問題解決の隘路を考察する

薬物問題におけるバイアスの存在とそこからくる社会的な問題解決の隘路を考察する

~十把一絡げに扱う危険

先週は、「起きている事象を論理的に解明するのが科学だが、だからといって分析的に遡及すれば問題が解決されるわけではない。にも関わらず、世の中では科学的といえばそれを盲信してしまう科学信仰が強く、そのため科学的権威を盲信する人が多いので厄介だ」という話をしました。中でも日本人は戦後のGHQによる科学偏重教育の後遺症によってかなりバイアスの掛かった状況が顕著であることへの憂いをコメントしました。

そして科学偏重思考による歪みの典型が、要素還元論に偏った科学アプローチが生んでいる歪みです。心のような要素還元できない出来ない領域への無知蒙昧が生んでいる誤った問題認識と解決策が、却って問題をより深刻にしてしまっていることに加え、中でも困るのが自分の無知蒙昧が分からないが故に他人に迷惑をかけることです。

それは時には徒党を組んで歪みを拡張していったり、権力を振り回して歪みを強いるメディアの振る舞いが、ネットワーク社会となった現在、最早犯罪に値する状況を醸し出していることへの危惧を認めました。今回はその最たるケースとして最近起きている社会問題について触れてみたいと思います。これに関しては明治大学の研究員である尾藤氏が非常にクリティカルなコラムを書いていますので、それを引用しながら話を進めていきたいと思います。

 

今テレビのワイドショーを接見しているのが薬物犯罪です。オリンピックの前なので見せしめ効果を狙っているのでしょうか、何やらどんどん摘発が続いています。

摘発自体は大事なことなのですが、この流れで気になることがあります。薬物問題は根深い問題の一つです。しかし今の日本の風潮は少しエキセントリック過ぎる面を感じます。テレビなどの出演者の大部分の発言を聴くと、まるで他人に危害を加えた犯罪者と同罪の様な扱いで、「容易に社会復帰はさせないぞ」という決め付け的な雰囲気が蔓延しています。後ろにヤクザが控えているかもしれないというある種恐怖心が交ざっているのか、とにかく厳しいのです。

薬物問題では確かに軽薄な若者が悪ぶってお気楽に手を染めて抜き差しならい状態になっているケースも多々あります。しかし最近のケースでは少々異なった問題、メンタルヘルスに関わる問題が増えてきている様に見えます。しかしテレビの司会者やコメンテーターと称する人たちはやたら犯罪の側面ばかりに偏重して、心の問題に触れる人は殆どいません。ここに大きなバイアスを感じます。

尾藤氏もそこをコメントしています。「人によっては薬物などに頼らなければ人生を生きていけない辛い経験や時期があったのではないか」ということに踏み込む必要がある。「優しいが故に、弱いが故にプレッシャーに負けて薬に走る場合がある。そのままではウツになる。思わず一時の逃避に走るのである。また近くに“ぴあプレッシャー”という友人や知人、恋人がいて断りきれない場合もある。何れにしても入り口はちょっとしたきっかけで、思った以上の強力さで足抜け出来なくなり、常習化してしまう、という心の側面を軽視してはいけない」。

にも拘らず一律に他人に危害を加えた犯罪者と同列に扱うバイアスは以前にも書いた法曹界のバイアスにも責任があります。判決の言い渡しで法律論一辺倒な判決文を読み上げる裁判官や、テレビで犯罪面だけの知見を振りかざして意見する弁護士のコメントです。これに権威主義の日本人は盲信的な反応をするのです。また司会者も大衆受けを狙ってなのか、大勢に迎合的な主張を繰り広げます。そして視聴者はそれに同調してSNSなどで過剰に騒ぎ立てる。まさに偏見の悪循環構造の始まりです。

犯罪的側面を軽視するつもりはありませんが、依存症という心の問題をきちんと知った上で論じないと薬物問題の改善は進まないことは確かだと思います。

まずは法曹界から、もっと人という存在に対する知見を広げて貰いたいと願うところですが、偏見を拡張するという責任をもっと自覚して欲しいのはむしろコミュニケーションに携わる人たちです。残念ながらテレビの制作者は非常に不勉強でまたバイアス自体に対しても無知な人が多いようです。

~集団主義がもたらすフリーライダー(ただ乗り)という危険

依存症からの脱却は医者が投与する薬からの脱却もあります。ウツの抑制薬なども薬物の一種です。医者が管理しているから良いというわけではありません。依存症という副作用は医者の力だけでは解消できません。それ位薬の依存症は強い力を持っています。きっかけは軽くても、心の病に犯されていてそこから逃げようとして薬に走ることと、それをきっかけに患ってしまった別の病を癒そうとしてもがいている人を助けて社会復帰して貰うのとでは話が別です。今そういった聡明さが求められる時代になったと言えます。

愚か者が迷った人をさらに迷い道へと追いやってしまう。そういう社会の方が薬物問題よりも深刻な社会問題だと、いい加減気付かないと日本は社会自体が歪んだところになってしまうでしょう。それが科学盲信の末路です。

薬物がいけないのは前提です。しかし薬物を使ったから「人生終了」では思考停止でそれこそそういったことを主張する人間の方が無能者です。しかも収監しても薬物依存は直りません。それを何度やっても意味は全くありません。教育刑(反対が応報刑)を標榜する日本の刑法においては全くの矛盾です。

つるし上げが抑止になるというのも研究で否定され、世界でも認められていません。薬物問題における依存症は吊し上げや諫めでは解決しません。犯罪対処と犯罪対策や更正は別の問題として多角的に取り組まなければならないのです。現代は本当に自分の持つバイアスを常に調整するマルチ思考の聡明さが求められるのです。

 

この様に現実も知らないで不勉強に出鱈目を平気で垂れ流してメディアで幅を利かせている人を権威者というのでしょうか。ただの有名人を権威者にみる不思議な思考が日本の社会にはあります。そしてそれを金科玉条の如くSNSなどで暴論をエキセントリックに繰り広げる愚者やそれに乗る愚者の一団。いったい日本はどうなるのでしょうか。憂いは募るばかりです。

今は集団主義によるフリーライダー的な軽薄さが、科学盲信で権威主義的な自分のアイデンティティとか哲学を持たない、ただ知識だけを振りかざす計算能力だけが高い人間を生み出す殺伐とした世の中になっています。その先兵としてそれこそ無知蒙昧で無責任に跳梁跋扈しているのがメディアと言えます。そしてインターネットという科学が素人に対してポピュリズム的な力を与え、そういう人たちがそれこそ軽薄にメディアを批判することもなく権威主義に拘泥して、メディアの行う悪影響を更に煽り捲り始めています。

捕まっていない人も捕まっても辞められていない人も、何かのきっかけで辞めれるならば辞めたいともがく人たちを救済できる社会こそが人々の心が健全な社会であり、本来そういう社会に導くのがメディアの使命であり、そこに従事する人たちの良心だと思うのですが、皆さんは如何思いますか。

無知なコメンテーターや司会者は問題解決のスケープゴートとして「犯人薬物使用説」を喧伝します。そしてメディアによって素人の人々の間で「薬物凶悪説」が強化されるという流れです。

バイアスで人や社会の未来を殺したり、人が不幸になる社会を生み出したりすることがないように、短絡な思考や固定観念にまみれた思考、精神論、道徳心ではなく、ファクト・ベースによるエビデンスでの、マルチプルな思考、包括的(インクルーシブ)な思考で問題解決を行っていくことが重要です。今本当にそういう転換期に来ていると思いますし、それが「心の時代」と称されることの本意でなのはないでしょうか。

少なくとも意味のない権威主義や集団思考の弊害をもっとバイアスという観点から考察して貰いたいものです。色んな意味で権威を持っている人や組織は人としての責任をもって貰いたいと思う今日この頃です。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。

JoyBiz 恩田 勲