• 科学という中途半端な世界を達観してみられる心を養いたいものです

科学という中途半端な世界を達観してみられる心を養いたいものです

~科学を表面的に信じる危険

最近の脳科学の発展は目覚ましいもので、人間関係や仕事上の問題、家庭環境の悪化といった心理的なストレスを長く抱えている人は、急なストレスの対処に欠かせないドーパミンの生産能力に支障が出るということが研究結果として報告されています。それによって統合失調症やウツなどの精神疾患を患うリスクが高まるそうです。

ドーパミンとは「楽しみ」や「刺激報酬」といったモチベーションを上げる神経伝達物質で、これが活発に分泌されると精神的にポジティブになることが分かっています。ただ行き過ぎると興奮状態になるので、適度な分泌が為されることが求められます。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」といったところです。このドーパミンを形成する神経系は、突然のストレスに対処するためのシステムとしても機能していることが知られています。

この様に起きている事象を実験的に分析して解明していくのが科学の役割ですが、分析的に遡及すれば問題が解決されるのか、といえばそれは別問題になります。問題の遡及点を突き止めるのは大切な作業です。ところが世の中では遡及点が見えたからすでに問題は解決された、という論理を振りかざす人が多々います。そういう人に限って科学信仰が激しく、科学的権威を盲信するので厄介です。

 

例えば、ストレス対応にドーパミンの作用が役立つということが分かったからといって、何故そうなのか、そしてドーパミンが具体的にストレスにどの様に影響するのかは分かっていません。今のところ因果関係があるということが分かったに過ぎないのです。つまり端緒に付いたに過ぎないわけです。

ところが科学亡者はドーパミンという科学的用語が出てきた瞬間に変な安心をします。そして「そうか、ドーパミンが効くのか」と短絡的に心の問題解決をしてしまうのです。実際に問題を解決しているわけでもないのに、「ではドーパミンを処方すれば良い」となってしまうのです。この顕著な世界が薬の投与です。足りないならば足せばいい。自力で出来ないならば投与を続ければいい、という対処療法に陥るわけです。

しかし深く考えて見てください。ドーパミンが出せなくなっているのが心理的ストレスだとして、それによって肉体的な障害が起きて自力でドーパミンが生み出せなくなった身体に外的な影響を与えた場合、単純に身体の中の分泌バランスは回復するのでしょうか。歪んだ状況に外圧を掛けて、それによって正常に戻るケースは奇跡に近いのが自然界のセオリーです。一般には必ず別の歪み、即ち副作用が出ます。

心が歪んだ影響で肉体に変調が出たのにも関わらず、肝心の心には処置をせず、肉体の方に強い介入をすれば、心と肉体の関係はどうなってしまうでしょうか。今の科学的なアプローチはそこに目を瞑った場当たり的な側面を強く感じます。科学とはこのように愚かな面がある世界です。科学は分析を土台とします。今の科学は肉体の分析は発展しましたが、心の分析は殆ど手つかずの状態といえます。

重要なのはそれを真摯に受け止めて謙虚にアプローチしているか、無責任にも理解出来ない未知を忌諱して理解できる領域にだけアプローチしようとしているかの違いです。

~物事を謙虚に捉える

科学者の中には3つのタイプがいます。1つは謙虚に研究に邁進し、素人に大言壮語を吐かず本質的問題解決を目指すタイプ。2つ目はその違いを認識しているが故に分析にだけ終始して社会的な還元行動から逃避するタイプ。そしてもう1つが傲慢に偏った科学の本質も分からずに習ったことだけを鵜呑みして研究もせずに大言壮語を吐くタイプです。

しかしながら最も残念なのは権威主義というバイアスに囚われ、科学の本質も知らずに科学盲信をして身を滅ぼす一般の人たちです。こういった人は疑問という概念がありません。そして3つのタイプも分からず、大言壮語に乗っかり自滅していきます。困るのは自分の無知蒙昧が分からないが故に他人に迷惑をかけることです。時には集団で徒党を組んで歪みを拡張していきます。

最近医学の中の脳科学分野にその傾向を強く感じます。心が問題視されるようになった現代。着目されるのは好ましい限りですが、至る所で脳科学が取り沙汰されます。その仮説が絶対のように市井で認知されます。そして知ったような気になった人がそこら中に蔓延しだしています。

ところが心の病は未だ何ら具体的には解明されてはおらず、病の人は増すばかりです。有効策も見えてきていません。心理学の方で構成論的に打開策が生み出され、それを一部の医学も取り入れ始めてはいますが、抜本策は五里霧中の状態です。むしろ医学は科学主義、分析主義に支配されて薬漬けを奨励する有様です。そして却って病を悪化させる人や長引かせる人を排出する状況です。

今もう一度、人は謙虚に自然の摂理の原点に帰って、科学を見つめ直すときに来ていると切に思うところです。それが心の時代という意味の本義だと思います。

ニュートンは万有引力の法則を解明したときに言いました。「私は法則を見つけただけである。何故そこに力があるのか、それがどういう力なのか実体として分かっていない」。そう実体として問題解決できることこそが、実学こそが科学の本質なのではないでしょうか。役立たないもの、抜本的な問題解決にならないものは真の科学とは言えません。

 

私たちは科学信仰や権威主義によって目が曇らないように聡明な心を持って日々を送りたいものです。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。

JoyBiz 恩田 勲