錯覚がもたらすアンコンシャスバイアスを知る

皆さん、こんにちは。

 

ここ何度かダイバーシティの世界において焦点が当たっているアンコンシャス・バイアスを取り上げていますが、今回はその原因の一つとなっている「思考の錯覚」についてご紹介をさせていただきます。

「思考の錯覚」とは本来はそうではない、論理的に考えればおかしいモノなのに、何故か違うものとして考えてしまう、思えてしまうことを云います。迷信などはその好例ですが、こういった思い込みや思い違いはどうして起きるのでしょうか。これは、我々が考えるプロセスの中にある癖に原因があります。アンコンシャス・バイアスの世界で直ぐに正体ぶって出てくる自己防衛心のような大仰なものではなく、非常にシンプルな働きといえます。

例えば、確証性バイアスという癖があります。これは人間の考え方の癖として、自分が考えたことが正しいとすれば、誰かに質問をした場合に必ず「はい」という答えが返ってくるはずだ、という思考をすることで、大凡90%の人がこのような「正しいよね」という確証を試みようとします。「間違っているよね」と反証を聞く人は滅多にいません。

自分の考えが正しいとすればこうなるはずだという確認をしてしまうのが、大多数の人が心理的に有している癖なのです。確証性バイアスというのは「信念、理論、仮説を支持し、確証する情報を求め、反証となる証拠の収集を避けようとするかなり強固な心性」です。

いわゆる自己正当化という癖ですが、自己防衛心とは異なります。人は生き抜いていくために基本にポジティブな心性を持っていますが、そのため「反証や否定的な情報の利用をうまく考えられない、認知的に失敗してしまう」習性があるのです。「こうではないはずだ」とは、積極的に考えられない存在なわけです。これは、否定を否定して肯定的にする様な複雑な考え方は認知的な負荷が高いため、負荷を低めようと反応することから生じます。だから常に負荷を低めようと肯定的バイアスが働くわけです。

 

さて、思考の錯覚にはこの確証性バイアスにもう一つの心性が影響します。それが「体験的学習による関連性へのバイアス」です。物事の原因と結果において、行った事象に対してある結果の事象が起きた場合にその成立を論理的に主張するには、事象が起きても結果が起きなかった場合や行わなかった場合でも結果の事象が起きた場合、そして行わなかった結果起きなかった場合、といった別の全ての流れを検証しなくてはなりません。

ところが往々にして人はその手間を省き、一部の因果関係だけを取り上げて思考しようとします。そこに錯覚の起点があります。因みに四分割として全ての関係を立証する思考をクリティカルシンクといいます。決して三角ロジックやMECEといった技術を指すものではありません。

さて、この関連性(随伴性とも云います)へのバイアスですが、本来論理的に四つの領域を検証しなければならないにもかかわらず、人は特定の部分ばかりに目を向けてしまう習性があります。印象の強い部分や期待していた部分には目を向けるのに、それ以外は印象的に薄れて忘れていくわけです。人は思うよりも忘れやすい動物です。脳は合理的に思考のバイパスを行います。

そうして人はインパクトの強い経験を通して、偏った部分に認識をしてしまうのです。折角データを取っていても、外からバイアスを支えるような情報がもたらされる(特に危険なのは村のような同質の集まりとか権威や信頼を持つ人の意見)とそれに共振して、自分の印象に残る認識の方だけに引っ張られてしまうことすらあります。これを専門的には、錯誤相関(幻相関)を起こすと云います。これが思考の錯覚の始まりとなります。証拠自体にバイアスが掛かってしまうのです。

更に確証バイアスによってこれは強化されます。人は自分にとって正しいと思いたい事象に強く焦点を当てます。そしてそれを正しいと証明しようと思考し、経験を判断し始めます。そして実際の経験を確認する認知に流れるのです。思いこみは事実によって強められていきます。しかしその事実は、自分にとって都合の良い、印象の強い事実ばかりによる間違った判断が前提である、ということを押さえておく必要があります。

そうしてこう云ったことから得た信念が、ある種の想起に関連付いた結果(リアリティ)に対し、その事実を自己に都合の良い解釈によって認知の選択をどんどん偏らせていき、それがより強い信念を形成していくというポジティブ・フィードバック・ループによって錯覚やバイアスは強固化されていくのです。まさに当たりは残るが外れは残らない、です。

それに先に述べた閉鎖社会での共謀が加わると、バイアスは信奉的になっていきます。これが人種差別のようなマイノリティ問題を生み出す温床になるのです。人は目立つところに目を付け、それが確証性バイアスによって高められていくのです。

 

但し重要なのは、確証性バイアスや関連バイアス・ループが起きるきっかけです。人は信念が錯覚によって強化されていくわけですが、そのきっかけたる信念はどうやって身に纏うのでしょうか。偶然の経験は否めないところです。しかしその経験をどのように解釈したかは、外からの情報による教育での学習結果です。また初期設定としての信念も教育による学習結果です。

先ず持って親(特に母親)が歪んでいると最悪です。また学校や地域社会での人間学習も大きく影響します。今お寺や大家族的な教育の場がなくなってきていて、徐々にこういったリベラル・アーツが脆弱になってきています。人間力に対する基礎力が無いもの同士が話し合っても詮無い話です。

今まさにリベラル・アーツが求められています。そして、教養を持った上での錯覚の弊害にもっと目を向ける必要があります。

アンコンシャス・バイアスの急所は「悪気のない偏り」です。ネガティブではなくポジティブでも起きる、寧ろポジティブだから起きる偏り。それは、錯覚が生み出す世界の理解によってかなりの部分が避けられます。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。

JoyBiz 恩田 勲