アンコンシャス・バイアスを考える

アンコンシャス・バイアスとLIFT概念

JoyBizでは企業設立のアイデンティティ・コンセプトとしてLIFTという考えを広く提唱しています。LIFTとはひとの心(メンタル)を形成する3つの要素である知(考え)、情(気持ち)、意(思い)を偏りがないように調整すると同時にそれぞれの力の量も調整することから行動(動き)、特に実践を具現化しようとするアプローチです。

これは創業者である私自身の30年に渡るコンサルタント経験から、計画作りのような思考や脳内連想による静的な作業ばかりに終始し、実際に目に見える結果に繋がる行動が起きない様々な組織体の悩みを解消するには、静態的な知性に寄ったアプローチを幾ら労しても望みは得られないという学びを基に生み出されました。

実際、理論的にも心理学や精神神経学的にみて、人の行動は情緒を基軸とした気持ちの有り様を起点としているということは十分に解明されてきている話です。私はそれを確かめるべく宮仕えという制限がある中でも様々な取り組みをしました。そうしてやはり情緒面の開発抜きには実践行動はもたらされないということを経験的に確信するに及んだわけです。

こうしてLIFTという考えを事業の根幹において推進する中で、時流も徐々に心の探求と開発に注がれるようになり、それは先ずレジリエンスという概念に結実されてきました。レジリエンスとは復元力を指しますが、メンタルの分野ではストレスという心への圧迫に対する対応力の様に理解されています。

そもそもは医療分野や米軍でのうつ病・トラウマ対策から注目され、それが徐々に企業内でのストレス管理に適応されていったのですが、そのアプローチは精神疾患における認知行動療法や禅が開発した瞑想法のマインドフルネスに収斂されています。これは前者が意識的認知の矯正技法、後者が無意識的認知の矯正技法と云うことで両輪的な関係を担っていますが、弊社のLIFTの概念と殆ど一致した考え方であり取り組みであると云えます。

何せ日本は西欧信仰が強く、同じ内容でも輸入概念に関心が高まるのは致し方のないことです。ともあれ私たちの主張がどんな流れにせよ着目され始めたのは嬉しい限りです。これを機に日本でも知能や技能といった知力寄りの能力啓発偏重から、漸く意識や感情といった意思や気持ちの開発や調整に取り組む気運が生まれ、それが徐々に加速され始めていると云えます。

現状ではどちらかというと直接的で速効的ある感情の管理と云うことで、アンガーマネジメントとか瞑想法といった考えややり方がもてはやされる傾向にありますが、本質を考える人達の中では意識や認知の調整や矯正に焦点が当たり始めました。

その中でも特に注目を浴び始めているのが、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見、思いこみ)と呼ばれる概念です。マインドフルネスもそうですが、アンコンシャス・バイアスも最初に企業で教育プログラム化したのはグーグルです。だからといっては何ですが、恐らくはこれから日本でも普及に加速が掛かるのではないでしょうか。

アンコンシャス・バイアスを是正する

この考えは元々レジリエンスで焦点を当てていた、認知の矯正に関わる側面です。精神医療では古くから実践されている認知行動療法の社会的応用になります。LIFTではインテンションの部分です。レジリエンス開発の焦点は、元々は心理学者のエリスが云ったイラショナル・ビリーフ(非合理な信念、固定観念)の矯正によって感情を安定させるという技法です。

これを心理学者のベックが推し進め、無意識な観念としてのスキーマまでを含めて自動思考としてその矯正を行いました。そしてペンシルバニア大学の心理学者セリグマンを中心にレジリエンスに適応したわけですが、残念ながら日本ではうつ病の蔓延を早期に対処すべく、根本治療よりも対処療法を中心に、また一見難しく感じる心理学の理屈を回避すべく体感技法である瞑想法、マインドフルネスに傾斜してしまった経緯があります。

先に述べた西欧信奉の流れとして、医療や米軍よりもグーグルのような知名度の方が入りやすかったのも否めません。本来は日本のモノであった禅由来というのも取っ付きやすかったというか普及しやすかったという面もあるでしょう。日本では根本的な開発になる認知行動技法は、今一つ普及していないのが実際と云えます。

このイラショナル・ビリーフ、若しくは自動思考の中でも企業や組織体においてコミュニケーション上、或いはパフォーマンス上での生産性に影響を与える領域に照準を定め、傷病を治癒すると云った世界ではなく、プラスを更に強化する領域として取り組もうと開発されたのがアンコンシャス・バイアスという考えです。ある意味命名によって有意義なのに分かり難かった世界を分かり易く感じさせるようにしたアプローチと云えます。

ところが、命名が上手く云ったからといってアプローチが容易くなるわけでもありません。事実、現状はアンコンシャス・バイアスという考えや気持ちという二面に関わる偏った思いに対して、それこそ考えの側面からアプローチする場合が殆どで、何となく頭では理解できたが、実践としての行動として或いは体感として腑に落ちないと云った反応が多く返ってきている様です。

特にコンシャス・バイアスは意識的な偏り、つまり理屈として頭の中で描いている想念ですから、言語的論理的なコミュニケーションや思考で理解も出来ますし、内観したり修正も出来ますが、アンコンシャス・バイアスは無意識ですから、一旦意識上に浮上させるか、若しくは反射的に是正される様に誘導する必要が生じてきます。早い話気付かないことを内観は出来ませんし、気付かないことを修正も出来ません。

かってやっていることは修正できますが、分かっていないことには手は打てないわけです。また分かっていても分かりたくないという更に深いバイアスがあり、真から分かろうと動機付けられないレベルのバイアスに対して、講義や知的理解でのアプローチは無意味です。

これに有効なのは先ず対話による気付きがあります。つまり、集団カウンセリングです。元来組織開発はそれを行うために開発された技法です。しかし、単に集団討議をすれば良いというものではありません。バイアス即ち悪とは限りません。組織を知らない人は、例えそれが専門家であっても錯覚していることが多々あります。冗談みたいですが講師にもバイアスがあるわけです。

例えば、バイアスの起点が組織の歴史的な風土にあり、そのために集団構成員が集団催眠に掛かっていたり、逆にそのバイアスがプラスに働いたりしている場合もあるからです。

また集団討議には、集団思考の危険性という集団心理学上のデメリットも生じます。これは民主主義の弊害とも云われていますが、衆愚状態が起きる場合があるわけです。バイアスがあり、それを集団による客観で矯正しようとした場合、その集団の合意がバイアスである場合もあるからです。特に社会道徳や倫理観が明確でない事象については誤ったバイアスを新たに生み出すことも多々あります。

特に企業社会にはそういった事例が多いようです。バイアスのない状態とは、学者やコンサルタントが理屈で考えるような状態ではありません。脳内連想では測り切れないバランスにあるモノもありますし、複数の思惑が絡むことからバランスが取られているモノもあります。

だからこそ認知行動療法なども必ずその道の専門家が介在するカウンセリングが中心ですし、アンコンシャス・バイアスだけではない心理学的な知見が求められます。集団であっても素人集団の見立ては危険です。かえって捩れることもあるのです。法律で云えば総論を知らずに各論を論じて刑罰を科する所業と同じです。

さらには無意識ということは、その認知の起点は殆どが系統だった理屈と云うよりも感情的な好き嫌いとかポジネガといったスキーマ(前提となる枠組み)が発生源になっています。例えば自尊観とか防衛規制などはその一例です。アンコンシャス・バイアスを調整するには単に現象に直結した表層的論理ではなく、より深遠に根ざすその人の自己概念にまで目を向けることが求められます。これができないと、単に対症療法的なアプローチに終始するだけで、モグラ叩きのように却ってことが悪化する場合も出てきます。アンコンシャス・バイアスの根本原因を見出すには、五感的な体感によって自己の暗黙知を浮き彫りにすることも必要です。

ともあれ心を扱う際には付け焼き刃は危険です。JoyBizは精神科医で禅の僧侶でいらっしゃる川野先生のような思いと気持ちの専門家と連携して、表面的なアプローチに陥らないようにこのテーマに取り組んでいる会社です。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。