ポジティブ世界を生み出すマインドフルネスの作用

~ポジティブ思考の本質は何か~

21世紀は物質的な成長がもたらした精神的な疲弊による社会活動の歪みを正していく安寧の時代と云われています。ごく最近でも即位された新天皇陛下が「安寧」という言葉を使って挨拶をされていました。

安寧とは、「穏やかで静かなことを意味する言葉」ですが、本来東洋思想に影響されている日本らしい言葉で、これは中庸という世界観を表しています。

最近の日本人は戦後の西洋思想教育の影響が強く、何でも二者択一的に捉える観念が蔓延し始めており、そこにデジタル的な思考が拍車を掛けています。そのため若くなるにつれて白黒を付ける人が増え、社会全体が殺伐とし始めている感がありますが、安寧とはバランスのとれたたおやかで柔軟な世界観でまさに日本人の本質を示す表現といえます。

このような中で最近「ポジティブ」という考えが洋の東西を問わず注目されて来ています。心理学においても社会学においても重要なキーワードとなっているようです。

ではポジティブとは一体どういう意味なのでしょうか。日本語に訳すると「積極的」とか「前向き」といった方向性を表す意味を持っています。ところが日本の実際では多くの人がプラスとか楽観と同義に使っているようです。

しかし厳密にはプラスや楽観が状態や位置を表す語彙であるのに対してポジティブは方向を表す語彙といえます。つまり前者は意味の基点そのものが正の位置づけであるのに対して、後者は位置づけそのものは負であったり中立であったりと必ずしも状態的に正とは限りません。

これは非常に重要な意味や問題を孕んでいます。何故ならば「ポジティブ」という概念は、思考にしても行動にしても必ずしもプラスをよりプラスにとか楽観をより楽観にといった比較的容易な方向付けだけではなく、マイナスに落ち込んでいる状態をプラスの方向へ転換させるとか、悲観を楽観に方向転換させるといったかなり力が掛かる局面が潜んでいるからです。

いずれにせよポジティブという概念は動態的であって、プラスや楽観のように静態的概念ではありません。このことはマインドフルネスやレジリエンスといった概念と非常に深く関わってきます。

常々私は人の心や精神を規定する概念としてプラトンやカントといった観念論哲学から「知情意」という3つの世界を紹介しています。この3つは相互に作用仕合ながら人の活動の有り様を規定しています。

知とは文字通り思考を生み出す情報系です。情報を有機的に組み上げると知識となります。知識を組み立てる能力を思考力とか論理力と云います。ここで注意して欲しいのは、知性はあくまでも科学的な合理の世界に位置されるモノであり、知を有機的に活用するのは知性ではないということです。

つまり幾ら知力、例えば分析力や論理力を磨いても、それが目的達成や社会的に有意なことに繋がるわけではないということです。有意とはその字が表すように意性の問題になります。意性とは分かり易く云えば「思い」「意思」ことです。更に事象をどう受け止めるかという認知も意性が司っています。知性とはあくまでも意性が機能しようとする際に、その能率をより高めるための材料といえます。働きは意性の方にあります。

例えば、人が様々な思考を行うに際して、思考という活動をどういう目的に向けてどういう状態でどの様に行うかを司るのが意性です。そしてその思考の有効性の質や精度、或いは処理速度を高めるために求めるのが知性と云うことになります。

このように意性は知性に支えられると同時に知性をコントロールする機能を持っている中核的な存在ですが、もう一つの属性とも密接な関係を持っています。

それが3つ目の情性です。情とは人の欲求や生理的な反応といった行動に直結する動機系です。意識的な情緒反応が感情で、より生理的な情緒反応が情動です。いずれも意性と知性に懸かる認知や思考とは別系統として、意性と情性の間で気力として熱量的に感受や感化の在り方を左右する働きを担っています。

意性は情性によって影響され、反対に情性も意性によって影響される相互関係にあります。そして人にとっては意と知の関係よりも意と情の関係の方が深く強くかつ直接的な関係として存在しています。これは人が動物として進化してきた経過の中で育まれた位置関係としては絶対です。従って意と情の関係を意と知の関係でコントロールするには、意と情の関係を凌駕できる意と知の関係を自分の中に作り上げる必要があります。

言い換えると欲求によって支配される感情としての意性を社会活動として有効に機能させるようコントロールするには、余程に磨いた知性と思考力によって高められた意思としての意性が求められるということになります。

こういった3者の在り方からみて一目瞭然なのは、ポジティブとは明らかに意性に組み込まれた概念と云うことです。そしてそこから導かれることの要点は、ポジティブという概念を実践的に捉えて社会活動に活かして行くには単に意思や認知の側面に焦点を当てて論ずるのではなく、感情や情動の側面にも焦点を当てなければならないということです。

それも情性におけるポジティブという存在の方こそを浮き彫りにするということが重要であるということを押さえておく必要があります。

 

「聞く耳を持たない」という言葉があります。人は感情面に支配されると最早論理面は吹っ飛びます。例えばネガティブな人とは何らかの原因でその時の情緒が後ろ向きということもありますが、原体験や長い経験の中で心構えの次元から後ろ向きになっている人がいます。ましてマイナス思考な人、悲観的な人はその側面が非常に強いと云えます。

そういった人は心の喫水線が非常に浅く(喫水線とは船が沈没する水位のことです)、ちょっとしたことで直ぐに感情的になります。最近は二者択一的な単純思考の人が増えてきましたので直ぐにスイッチが入ったりもします。そうすると最早認知の転換もポジティブ思考への誘引もままなりません。それを内観的に自分でやれといってもまず不可能と云えます。

理屈ではメタ認知とか、レジリエンスとか識者がご託宣を述べますが、多くの人は感情のスイッチが入った状態を是正するのは至難の業ですし、そうならないように日常の精神状態をコントロールしておくのもかなりの修練が要ります。

その一例にアンガー・マネジメントがあります。カッとなったら、6秒間我慢して怒りを収めろという技法です。我慢とは別のことを考えたり、そういった状態の自分を達観しろというわけです。私も経験がありますが、カッとなった時は最早頭の中はネガティブの渦状態です。時には頭が白くなるわけです。

カッとならない様な自分のコントロールは修行で何とかなりそうですが、カッとなってからはまず不可能だと後になってつくづく内観しました。これを提唱している人は果たして自身が経験的にこの技術を体得しているのでしょうか。一度直接伺いたいモノです。

ともあれ、思考を中立にしてネガティブをポジティブに転換させるにも、プラス思考の日常を作り上げるにも楽観的な姿勢になるにも、思考の前にまずは自分の気持ちを中立にしなければなりません。感情的な波を穏やかな状態、凪いだ状態にしない限り、冷静な思考や判断は出来ないのです。

~マインドフルネスが導く世界とは~

その時に有効なのがマインドフルネスです。マインドフルネスは心を安定させるために心を「集中」させる技法です。時にマインドフルネスを、「心を安らげる技法」と思っていらっしゃる人がいます。それは少々情報が足りていません。

マインドフルネスは「今ここに思いを集中させて、思考を止めて頭を空にして心をクールダウンする」体感技法です。その集大成が禅であり、ヨーガという東洋発信の技法なのです。何故東洋なのか、これこそが冒頭に述べた東洋の中庸思想が生み出した「無」の概念なわけです。

マイナスをプラスにするにもネガをポジにするにも必ずその道程には中点を通る必要があります。数学で云うとゼロポイントです。このゼロの思想こそが、心のみならず万物に共通する基軸の確立を可能にしました。

これによってマイナスとプラスという正反対の世界を一本の線として繋いでいく世界観が生み出されたのです。マイナスからいきなりプラスには転換できません。これを可能にするのがニュートラル状態の案出なのです。そしてそういった心理状態を作り出すのがマインドフルネス、禅における瞑想法の機能なのです。

そして、認知的にも情緒的にもニュートラルな状態に導き、そこから意思としての自分の在り方を転換させることからポジティブな自分を作り出す。それを恒常化させることから常態的にプラス思考で楽観的な意思の自分を作り出し、それによってポジティブな世界を思考的にも感情的にも自らに創出できる力を身に付ける。これがレジリエンス開発の骨子となります。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。