真の経営リーダーシップとそれを後押しする哲学の存在を考える

プロローグ

今回は前回に引き続いて懐かしい話をさせて頂きます。興銀さんとの関係が出来た時期に私はもう一つ印象に残ったお付き合いを持つことが出来ました。

当時私は霞ヶ関ビルの中にお客さんがおり、2週に一回は訪問していました。この会社は化学系の上場企業で財閥の一つにも属していたので外せないお客さんの一つでしたが、ご多分に漏れず前回お話ししたようにレッテルがしっかり貼られてなかなか仕事が貰えない状態に陥っていました。

今回の話はこの企業のことではありません。数少ない引継企業である化学メーカーに訪問するために虎ノ門で地下鉄を降り、とぼとぼと歩いている時、いつも気になるビルがありました。

ある時意を決してそのビルに飛び込んだのです。他の営業がお伺いしているかもしれませんが、その時はその時、背に腹は代えられないのが当時の状況でした。その企業はメンテナンスしている企業と同じ財閥の名前を冠していましたから、それを利用すれば何らかの足がかりが出来るのでは、と閃いたのです。

いわゆる飛び込みです。私は1階の受付で、「常々霞ヶ関ビルの○○さんにお伺いさせて頂いているのですが、今日は少し時間があったので、いきなりで恐縮ですが訪問させて頂きました。もし宜しければ人事の教育担当の方に取り次いで貰えないでしょうか」とお願いしました。するとどうでしょう、人事の課長さんがお会いして下さるというのです。全く行動してみないと始まらないことは五萬とあるものです。

それがK課長との出会いでした。一通りの会社の案内をさせて頂いた後、改めてお時間を頂くということでその日は退散したのですが、二度目の訪問時に宿題を頂くことになりました。それは課長研修の提案でした。これまで某協会で定例的に実施してきたが、今会社が岐路に来ているに辺りより即戦的な内容がないかを思慮していたということでした。

課長的には「御社は弊社と同じく株式会社であり、常に業績注視をしている。また我が社の系列の企業も手掛けており、隠れた文化も認知している様なので提案を出してみてくれないか」という趣旨だったようで、非営利法人の先生では理屈偏重で実戦的なリアリティさに欠けるということが気になっていたことと、まさに私の狙い通りに財閥的な系列企業を担当していることが安心感を持って貰う材料になったようです。 

私は戦略策定のプログラムを提案することにしましたが、実戦的なテーマを内容にする場合、社内展開には上司の理解と支援が必須になってきます。そういった下りを課長に話すと、いきなり課長が「自分では上手く説明仕切れないから一度部長に会ってくれないか」と言ってきたのです。

どうやら彼が問題としていることは彼自身にも降り懸かっていることで、課長研修までは課長で采配出来るが、それ以上は難しくなると云うまさにそれに代表されている本質に潜む官僚的な体質が実戦の弊害になっており、これまで課長はそれを何とか打破しようともがいていたのです。

こうして私は3度の面談で取締役の部長にお会いできる運びとなったのです。部長のN氏は歴史ある大手企業に相応しい上品な方で熱心に私の話を聞いて下さいました。そして「恩田さん、貴方の話を具現化するには、部長研修からやらなければならないね」と仰ったのです。あれよあれよという間に部長研修が決まりました。更に部長は「部長研修はやはりトップの意向が組み込まれていなければならない。一度社長との面談の場設定をするから、そちらも段取りをしてくれ」と申し入れて来られたのです。

流石に私も慌てました。最早私の掌中に収まる話ではありません。急ぎ我が社の幹部に同行をお願い致しました。会社でも一、二を争う知性派の方です。興銀さんの場合は知性派は相性が合いませんでしたが、今回はドンピシャでした。コンサルタントは能力以上に相手と価値観が合うかどうかですが、そういった意味においては知のないコンサルタントは土俵にも上がれないことになります。しかし勝負は意なのです。

コンサルタントと面談する中で先方の社長は徐々に期待を高めていかれ、「研修の中で次期後継者をアセスメントして貰いたい。次の社長は決まっているが(この段階では未公表でした)、その次を考えていかねばならない」とご依頼をされたのです。そして次の社長に関する話をされ始めました(社内的には公表されていました)」。

変革の機をつくる仕事とは

ここからの話を理解して頂くためには当該する社名を明かす必要があると思います。最早30年前の話ですから、問題はないでしょう。その会社は「大阪商船三井船舶」です。客船「飛鳥」の運行で有名な会社です。この時の社長は相浦さんでした。相浦さんは「次の社長は転法輪さんと云う。自分と違って非常に明るくアグレッシブな男だ。彼ならば次の舵取りで会社を上向きにしてくれると思う」とお話下さいました。

それまで私は迂闊にも商船三井さんの経営状況をきちんと理解していませんでした。当時の商船三井さんは石油ショック以後の海運不況で四苦八苦されていました。幾つもの海運会社が潰れていく中で、リストラによって堪え忍び、いよいよ打って出ようとする矢先だったのです。成る程我が社の誰もが訪問していないはずです。私は田舎から帰ってきたばかりの世間知らずが幸いしたのでした。

私は思わず「これから躍進が期待できるならば、社長自らがもう少し舵取りをなさったら如何ですか」と問い掛けました。せっかく苦しい時を一身に背負い堪え忍んで何の見返りもなく時代に譲るのは無念ではないかと思ったのです。

それに対して相浦社長は「いやいや、経営には運気や勢いと云うものも大切だ。人には天命というものがある。自分は分母を支えるのが巡り合わせであった。そういった人間が分子をも担当するのは勢いを削ぐことになる」。

経営哲学の根幹は「会社を維持させること。潰さないこと」と理屈では知っていたつもりでしたが、淡々と微笑みながら話される相浦さんの姿に初めて経営者の姿勢、矜持を見るに及んで心底心が揺さぶられる思いがしました。間違いなく生々しい経営哲学に初めて触れた瞬間でした。

相浦さんとの面談後、N人事部長が面白いことを呟かれました。「いやー、今日の面談は良かった。私達でも日常聞けないことが聞けた」。私が訝しげな顔をすると、部長は「私も取締役といっても役員会の時などは大勢の役員の中で社長の思いなど対面で聞くことなどは出来ない。社長と面と向かって話すことも半年に一回位なんですよ」。意外なコメントでした。これが大手上場企業の実態なんだとこれまた初めての体験でした。

以降、部長研修は定例コースとなり、研修後は都度社長報告があり、その場を利用して人事部長もこれまではなかなか出来なかった意志疎通を図り、色々と仕掛けをされていました。これも一種の組織開発かも知れません。

相浦社長の時に部長研修の中でも際だった方がいらっしゃいました。勿論それはご報告させても頂きましたが、それが転法輪社長の次に社長になられた生田さんです。後に郵政公社の初代総裁になられた方です。やはりトップになっていく方は切れ味の違う発想をされるものです。その時の生田さんのおられた部署がそれ以降の商船三井の目玉になっていくのですが、企業が再生されるときはまさに現場の策と上の意向が一致する時というのが実戦的な研修会議を見ていて私の人生において心に刻まれた一瞬でした。

 

相浦さんの後を受けた転法輪さんは、相浦さんが云われたように明るく積極的で勢いある方でした。彼とお会いしたときに高言された「出を征する」戦略は生田さん達が編み出した戦略策を象徴した言葉でした。「バスからタクシーへ」そして「出ずる、つまりアジアから北米市場へのシフト攻略」を合い言葉に以降商船三井さんは付加価値戦略を持って台湾のエバーグリーン社などと一線を画していきます。客船飛鳥などの事業もその一貫だったのでしょうか。一気に社風が攻撃的に変わっていきました。

転法輪さんからも多くを学ばせて頂きました。一年に何回かトヨタさんが飛鳥を借り切って日本回遊の慰安旅行をするそうです。その際にはトヨタさんからは豊田英二さんが来られるので転法輪さんも必ず同席するそうです。そういった時にトヨタさんの様々な未来戦略が社長同士の席上で語られるのだそうです。

例えば、「ホンダさんが青山に、日産さんが銀座に(今は横浜ですが)事務所を持っているのは伊達ではない。内もこれからは品質だけではなくて開発マーケティングを真剣に考えなければならない」と仰っていたという話は非常に刺激的でした。実際その半年後に東京進出を加速化させたのは驚嘆させられました。

この話をその後ホンダさんにいる親友に話したところ、「内は逆に栃木の茂木に開発を引っ込めてしまった。これからが心配だ」と云っていましたが、その後のトヨタさんのレクサス戦略などとホンダさんの動きを見比べると色々と勉強になる展開だったと振り返るところです。

転法輪さんはそのキャラクターの派手さに見合って経済同友会の副会長などを歴任されましたが、私的には相浦さんの経営哲学が今日においても最も印象に残っています。マツダさんやアサヒビールさんなども、ヒットし始めて業績が上向きになってからの社長がマスコミ的にはもてはやされますが、経営は持続性の中必ず浮き沈みがあります。その時に誰が支えていたか。

持ち回りの天命として地道に下支えをする経営者がいたからこそ捲土重来があり日の目を見る機会も出てくるわけです。アサヒビールでは樋口さんではなく、その地盤を作った村井さん、今話題の日産さんはゴーンさんではなく、塙さんのような人達がいて、決して派手ではなくても逆風を堪え忍んで好機を作り出す変革を導いてくれたからこそ会社の未来があるのではないでしょうか。

こういった役割の中で使命を果たす人達は必ず経営哲学を持って風雪に堪え忍ぶレジリエンスを持っていらっしゃいます。奢らず分を弁えて粛々と自分の役割を果たして行かれます。

本当に格好良い人達とは、こういった人生哲学を持って真摯に生きて行かれる方、背中を行動で見せて行かれる方であると私は憧れる次第です。

今、ゴーンさんのような人は、また軽薄にそういった目立つ人の経営センスのみに反応するマスコミはなにを思っているのでしょうか。

現場の知恵をしっかりとパワーで支援する組織。人のうねりに発生するパワーをしっかりとハンドリングして目指す方向に舵を取れるリーダーシップ。それらが上手く噛み合ったときに始めて変革は達すると云うことを商船三井さんは30年前に私に教えてくれました。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。