「企業が意を失ったときにどういうことが起きるか」

皆さん、こんにちは。

<意との出会い>

今回は少し古い思いで話をさせて頂きます。今からもう28年前になります。その頃私は前職で新人として派遣された新潟から東京地区の建て直しとして呼び戻されました。建て直しと云うくらいですから当時の東京地区の業績状況はもう惨憺たる有様で、地方の利益で漸く凌ぎを保っている状況でした。ですから地方で高業績を上げた者を呼び寄せたなどといった営業部長の口車に乗った栄転気分など持つ余裕もなく、ともかく新規顧客開拓に明け暮れる日々でした。

特に大変だったのはこれまでのお客さんが抱いてしまった会社へのマイナスイメージの払拭です。お客さんという存在は全く色の付いていない新規の方が楽に関係を作れるといえます。確かに最初の警戒を外して頂くまでの入り口は勢力が要りますが、一旦胸襟を開いて頂いた後は話がスムースに進むのが大方なのです。寧ろ一旦マイナスイメージを持ったお客さんの心を開いて更に染め直すのは難儀です。会い易いからといって何度も通ったところでそう簡単には固定観念を変えてはくれません。

因みにマイナスイメージというのは、ネガティブなイメージとは限りません。「あそこに出来るのはこういった領域だけだ」といったレッテル貼りもその一つです。それを剥がすのは容易ではありません。紙のガムテープを段ボールから剥がす苦労とよく似ています。

その様な中、必死で活動した結果思いもかけず開拓できた会社に、今はもう合併して名はなくなりましたが、日本興業銀行があります。当時としては知る人ぞ知る銀行の中の銀行として市中銀行からは一線を画した存在でした。ひょんなことからこの銀行の哲学観を知っていた私は、社内でもこの銀行が手付かずであることを知り、果敢にも人材開発室に直電をかけて当時の室長であるK氏(その後オーストラリアの支店長に転勤されました)に面談の機会を得たのです。

初面談の際の内容は殆ど覚えていませんが、今の経済に対する考えなどを問われ、新潟の燕や三条地区で零細企業を相手に市場開拓をしていた私としては知的にはコテンパンにされたことだけは覚えています。そうして力及ばずといった体で退散したのですが、事務所に帰ると一本の電話が掛かってきました。電話に出ると先ほどのK室長が「もう一度来い」と云うのです。分けも分からずもう一度丸の内のビルに行きますと、微笑みながら、「君に重要な依頼がある」という一言から今でも忘れられないお話を聞かせてくれたのです。
「先ほど君が来たときに我が行の中興の祖である中山素平のことを語っていたが、実は今や我が行からその哲学が失われようとしている。学歴主義というのは恐ろしいもので、固定化した採用を10年もしているとそれがある種の文化となって、誰を担当にしても文化の臭いに基づいて採用をしてしまう。一昨年前から大学偏重の弊害を無くすために履歴書排除を打ち出し、面接重視としたのだが結局採用されたのはそれ以前に採用されていた大学出身者に偏重した結果になってしまった。
医者に医者独特の空気感があり記者に記者独特の空気感があるように、大学にも大学独特の空気感があるようだ。面接での評点の付け方もそういう文化的な好き嫌いが出るようだ。質問の内容も無意識に偏っているようだし、それに対する受け答えへの好感度も偏ってしまう。それによって我が行はどんどん官僚体質になってしまっており、それにどんどん拍車が掛かっている」と口火を切られました。

私は室長も「そこの大学出ではないですか・・・」と少々ほくそ笑みながら、「それがどういう問題に繋がるのですか」と問いかけました。すると室長は「私の云う官僚体質とは“寄らば大樹”の陰で安全第一思考という意味です。我が行は創立以来日本の企業育成を使命として展開してきた。だから起業家が起業に成功するようにお金のみならず人も貸し出している。だから当然我が行の人材は企業家精神を持っていなければなりません。そしてそういった起業家が本物かどうかを見極める眼力を持っていなければならないのです。
しかし今の中堅はそれが出来なくなっている。そして貸し出しに対して担保といった目に見えるものを要求する。元々担保を持っている様な相手先は冒険などしないよ。だから我が行の収益はどんどんと減ってきている。今や振り向けば住友銀行といった有様になっている」と憤慨されたのでした。成る程、前回私が訪問した際に私の会社の経営者が常々私たちに話している内容を照会したのですが、その話に室長は感銘を受けた模様だったわけです。

いつの間にか横に座っていたI次長が話を続けました。「今の我が行の若手には思いや意志がない。知性は高いが自分なりの哲学がない。だから出向しても全く活躍出来なくなっている。内は事務員を派遣しているわけではありませんよ」。室長が続けます。「我が行が欲しいのはちゃんと自分の意志を持って人を見る力のある人材です。御社でそういった人材を育成できますか」。

K室長もI次長も熱い方々で、この方々と話している限りには興銀はやはり意のある銀行だと実感したのですが、現場はどうやらそういうわけではないようです。これはこの研修開始後に露わとなってきました。しかし今で云うとまるで池井戸潤さんの大ヒット小説のようですが、今から28年前にまさにそういったシーンに直面したのです。ともあれ私の内面に知と意の違いというものが明確に区別されたのはこの時でした。

 

~意を失った組織のその後~

さて研修を行ったのは、今でも建物はありますが、代官山の中腹のかなり立派な自前の会館でした。その一回目の研修において面白い出来事が起きました。私も興銀が相手ですから少し気にして最初は自社内においてかなり知性が長けたコンサルタントに仕事を依頼したのです。もちろん内容は理路整然とし、ロジカルです。ところが終了後受講生が皆穏やかに帰って行くのです。そして皆さん一様にコンサルタントを「先生」と呼ぶのです。私は何かが違うと直感しました。この研修は知の研修ではなく、意の研修です。こんな知的満足で終わるような終わり方ではないはずだ。

そこで私は第二回目のコンサルタントを、度胸を決めて変える決断をしました。今度は自分の先輩で営業部長も歴任した現場主義の方です。するとこの方は研修の背景にある理論やフレームなどといったロジックよりも自分の実体験を踏まえたリアルな話を中心に受講生と対話するように内容を進めたのです。面白いことに受講生は終了後意気揚々とし、明るい顔で何らかのヒントを得たといった顔付きで部屋を出ていくのです。何よりもコンサルタントを「○○さん」と固有名詞で呼んで積極的に話しかけていくのです。講師と受講生の間に垣根がないのです。これこそ意の伝授が通じた証拠だと私は実感しました。彼らもまだまだ捨てたものでもない。そう今後に対して期待もしたものでした。

ではこの研修会はその後どうなったのでしょうか。実は2回を持って中断してしまったのです。クレームなのかって?嫌それよりももっと大変な事態が起きたのです。二回目の終了後3日程経って私は室長から呼び戻されました。「恩田君、申し訳ない今後の研修を一旦ペンディングしてくれないか」。私は驚いて室長に聞きました。「えっクレームですか?」、「いや違う」、「じゃあどうして」、「悪いが今は云えない。ここ1、2週間で君にも分かることになる」。

私は狐に包まれた思いで事務所に戻りました。しかし答えは直ぐに分かりました。東洋信金。皆さんはこの名前を覚えていらっしゃいますか。では尾上縫。そう興銀は大阪でこの人の巨額詐欺事件に引っかかったのです。この人に担保依存の「マル担融資」で大きな焦げ付きを起こしたのです。報道後直ぐに私は室長から呼ばれました。「恩田君打つ手が遅かった。残念だ。しばらく興銀は外部との接触を一切断ち内製的に活動することになった。申し訳ない」。

それから興銀はかつての威光を失い、みる間に合併し、みずほ銀行になっていきました。その後何度か興銀出身の方とご一緒したこともありますが、相変わらず国立出身の高学歴な方が殆どです。ただ、どんなに知性はあっても覇気はどんどん弱くなっていきました。
穿った見方かもしれませんが、7年前にある上場企業が事業の提携を模索する中、みずほコーポレート銀行を仲介して別の上場会社と会合する場に立ち会わせて頂いたことがあります。新宿南支店の会議室でしたが、その際同席した2人の行員は、ただ両者を紹介するだけで、殆ど話もせず、両者の社長とも切っ掛けの端緒が持てず困り果てていたのが印象的でした。かつての興銀のように両者を意や思いを持って取り持とうという気概が感じられないように見えた時、あの室長の顔がまざまざと浮かび上がりました。

先週話題にした意と知の違い。今企業に求められるのは意の開発であるということ。知情意という3要素の中で行動を喚起する熱エネルギーを発するのは情ですが、それを起動させるのは知ではなく意であるということ。私はただただ今の企業の意の不明瞭さとそれに根ざす行動の脆弱さを非常に憂慮するばかりです。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。