「馬鹿の本質を、組織開発を通して考える」

~使えないチームの2つのタイプ~

先週「馬鹿」についての話をさせて頂きましたが、馬と鹿の違いはご理解頂けましたでしょうか。実はこの理屈は個人のみでなく集団にも適応できる話なのです。

私の組織開発の恩師は私が若い頃に「使えない集団や組織の典型」として2つのパターンを教えてくださいました。

一つは「頭の良い奴がいがみ合っている集団」そしてもう一つが「頭の悪い奴が仲良しでやっている集団」というパターンで、これはまさに馬鹿の概念と符丁がピッタリと合うのです。

 

頭が良いとは先読みが出来、広い視野で物事を考えることができる状態ですが、一方で先を読みすぎて深読みによる「否定的な幻想」に囚われたり、必要以上に広くモノを見過ぎたりして蛇足の様な考えに陥る可能性を併せ持っています。

実際の経験から云いますと、頭が良い人たちの集団は「ヘッド・トリップ」に囚われて、動く前から知った気になって動かないという人が大多数というのが感想です。

またクリティカル・シンクという言葉がありますが、クリティカルとは批判的という意味でその裏にはネガティブ・シンクという側面を伴っています。確かに頭の良い人は裏読みをしたり疑ったりと、どうも人間関係を阻害する思考が先に立つ人が多いようにも感じます。

何れにしても頭の良い人たちの集まりは、お互いに自分の主張に固執し、勝ち負け思考に偏る特性が潜んでいます。まさに野生の馬の集団暴走と同じ状態となってしまうわけです。

 

一方頭が悪いは、そのものズバリです。何事も深く考えず、お互いに無為に同調をしたり依存関係に陥ったりして、「地面に向かって自転車をフル回転に漕ぐような状態」が頻出します。間違ったことを誰も気づきませんし、多少おかしいと思っても、今の均衡関係を壊したくないのでそれを口に出そうとしません。心理学では「アベリーン・パラドックス」という現象があります。個々は右だと思っていても合意形成では全員が左と言ってしまう集団牽制による心理特性です。

 

ともあれ頭の悪い仲良し集団は、問題解決よりも集団維持の方に強く反応します(これ自体が大問題ですよね)ので、生産性向上など二の次の状態となります。困ったことにこの状態は中にいる人たちにとっては居心地が良いので、この状態を容易には壊そうとしませんから難儀です。まさに「木を見て森が見れない」思考状態で鹿の思考行動と同じと云えます。

どうでしょうか、馬鹿の持つ深い意味をご理解頂けましたでしょうか。

 

 

~本当の頭の良さと守破離創~

さて先般BS放送で京都の老舗料亭の味を次代に引き継ぐために科学的なデータにしようとする試みの番組をやっていました。その中で非常に感銘を受けた一片をみなさんにもご紹介したいと思います。これこそ頭が良い、の典型例であると思った次第です。

老舗料亭の懐石の定番に「鮎の塩焼き」があるのは皆さんもご存知のことと思います。番組では京都の老舗である「瓢亭(ひょうてい)」の80才過ぎとなる亭主が取り上げられていました。その調理する過程の中で、明らかになったのが瓢亭の亭主は塩焼きを焼く際に炭を山盛りするということでした。一般に塩焼きの伝統的な焼き方は炭を一列に並べるのだそうです。それが日本料理の調理法の伝来で教えられてきているそうです。番組でも東京を始めとした幾つかの料亭や割烹の調理状況が放映されていましたが、皆一様に炭を一列に並べています。また料理人もそのように教わったので何十年もそれを守っているとコメントしていました。
ところが瓢亭ほどの歴史(約450年)がある老舗の亭主は、真の美味さを求めて自分の代で料理法を変えたというのです。そして番組が瓢亭を取り上げた理由は、京都の料理界で瓢亭の鮎の塩焼きが一番であるという評価を元に科学的分析対象として取り上げたということなのだそうです。ある意味日本一の鮎の塩焼きの科学的分析です。

ここに一流の人とそうでない人の思考のレベルが表現されている気がします。言われたことを忠実に守ることも大事でしょう。しかし古くは観阿弥が記したように「守破離創」です。真の思考は進化や未来をもたらす創造性です。それには守の次の破と離がなくてはなりません。多くの料理人や頭が良いという人は、守レベルで評される人が圧倒的多数なように思えます。創で頭が良い人は中々居ません。

これからは創における頭の良さが求められる時代です。それには、まずは破と離です。ただし、あくまでも最初は守です。何もない中で破はありません。それは重々見逃してはなりません。最近の若手は守が出来ない人材ばかりになってきています。

社会人基礎力があってこその創造力です。順序は大事です。

 

さて、皆さんは「ソモサン?」